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フェニックスを演じることになったそら。同時期レイラもまた自身を代表するフェニックスを舞台で演じることとなっていた。お互いに自分が目指す不死鳥のイメージが掴めないでいたところ、そらの元に、レイラが失踪したという知らせが。レイラを探しに出たそら、ケン、メイの三人。一方レイラは自転車にのって旅をしながらこれまでの自分を振り返り……。
ここから物語は始まった、という「フェニックス」をテーマにしたOVAです。
本編の最初の方でレイラの代表的な技「ゴールデン・フェニックス」を演じてしまったそら。レイラのイメージが強いそれをどのように自分のものにするかと悩む。一方レイラはいままでのフェニックスとは違うものをつかみたいけれどうまくいかない。レイラ自身の弱さが描かれるのもこの作品の大きな特徴です。「逃げてきた」と告げるレイラさんは珍しすぎる。
再生するには自ら捨てたものや封印したものをもう一度見つめ直して再構成する必要があるのかなと感じたお話で、そらは燃えたぎる力強いフェニックス、レイラは清らかで神々しいフェニックスとそれぞれ掴んだものが違うというのも面白かったなあ。
最後まで楽しく視聴しました。この作品がやっぱり大好きです。
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苗木野そらは、世界的サーカス・カレイドスターのステージに立つことを夢見て日本からアメリカにやってきた。しかしオーディション会場にたどり着く前にトラブルに遭い、伝説とされるパフォーマー・レイラから入団する資格はないと断じられてしまう。だがプロデューサーのカロスが「特例での入団を認める」と言い、運良く合格してカレイドスターの一員となったそらだが……。
本放送当時かぶりつきで見ていました。というのは、このカレイドスターは全51話なんですが、最終話51話が最高に大団円! って感じのエンディングで、もうずっとずっとずっと大好きなんです。
高い運動能力と秘められた才能を持ちながら、お人好しで何かと首を突っ込みたがるそら。彼女が自分のパフォーマンスで人をたらしていき、当初はトゲトゲしていたスター・レイラさんはそらを「私の夢」とまで言うようになるし、二期から登場するライバル・メイもなくてはならないライバルとしてそらを認めて、っていう、サクセスストーリーとしてとても熱い展開です。そらの挫折や周囲のとの摩擦もしっかり描いていて、本当にこの作品は理想の「夢」のお話なんだなあ、と最後まで描ききってくれたことが本当に嬉しい。改めて最後まで見てそう思いました。
昔はただ好きだと思って最終話を見ていたけど、いま見たら泣いてしまった。ステージの精フールが見えなくなる、っていう演出がなあ……。
OVAで次なるスターの誕生も期待させる感じで、とてもよかった。
アーロンはユタ州にあるブルー・ジョン・キャニオンでキャニオニングを楽しんでいたところ、岩とともに滑落し、右腕を挟まれて動けなくなってしまう。ついに自分の腕を切り落とすことを選ぶが、ナイフが鈍くて切り落とすこともできない。水もなくなり生命の限界を超え、ついには幻覚を見るまでになるが、生きたいと強く思ったアーロンは決断を下し……。
誰も助けてくれない限界ぎりぎりの状況。痛い……きつい……。生きたいっていう強い想いがあって極限状態になるっていうのはどういうことかっていうのを知らしめる作品だったように思います。実話をもとにしてあるんだからすごい。
なんですが、映像としてはおしゃれな感じがしました。いややっぱり痛いかな、腕のシーンは……。
音楽が何故か印象的なのは、彼がほとんどの視点を担っているからかな。頭の中が映像や音楽でいっぱいになる瞬間があるよなあなんて思いました。こういう限界のときにはそれが目の前で起こっている・聞こえているように感じるに違いない。
映画監督のヴィクターは過去にオスカーにノミネートされたこともあったが、いまでは駄作ばかりと評判で主演女優に降板される始末。さらには元妻とも険悪に。しかし謎の男ハンクが現れ、理想の女優をCGで創造することになった。かくして創造されたシモーヌは脚光を浴び一大女優として名が知られるようになる。同時に監督であるヴィクターは名声を手に入れるが……。
CGやAIから創造された者は命を持つのか? という難しいテーマを、落ちぶれた映画監督ののし上がりとともに描く。2002年の作品とは思えない完成度で、すごく面白かった。
CG女優を起用したうだつのあがらない監督の悲喜こもごもがメインなんですが、シモーヌの存在に底知れない恐ろしさを感じる。いまではCGで作ったキャラクターが動く作品なんて普通のものですけれども、それが世間には人として認識されるとこういうことが起こりうるのかと思って面白かった。存在しない証拠も存在した証拠もない、っていう台詞は怖いな。それって人間でもそうだよな……。
最後はえーって言っちゃったけど「これは未来の出来事です」と言われても信じられそうな作品だった。面白かった。
冷戦時代に東ドイツで生まれ育ったハンセルは、ある日米兵のルーサーから結婚を申し込まれ、母の助けもあってパスポートを偽造し性転換手術を受ける。だが手術は失敗。股間には「怒りの1インチ(アングリー・インチ)」が残った。しかも結婚生活は破綻を迎えてしまい……。
ヒューマンドラマと音楽。ヘドウィグの怒りと叫びが込められた魂の歌とその物語。
片割れを見つける物語だったなあ。男と女、どちらかの性だと決めなければならないような気がしてしまうけれど、どちらも持っていていいのだと思うし、持っていなくてもいいのだと思った。ずっと歌っているけれど心情を語るその歌がすごくよくて、また画面が雑然としているのに綺麗なんだよなあ。
失墜と成功が非常にドラマティックで面白かった。舞台、一度見に行ってみたい。
18世紀ヴェネツィア。『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、孤児たちを養育するピエタ慈善院で、《合奏・合唱の娘たち》を指導していた。ある日教え子エミーリアのもとに恩師の訃報が届く——史実を基に、女性たちの交流と絆を瑞々しく描いた傑作。2012年本屋大賞第3位。(裏表紙より)
不思議な陰影のある話だったなあ。カーニバルという顔を隠す祭りの非日常感もあれば、淡々と日々を生きているような語りもあり、生きることの息苦しさも感じたり、歴史の大きな流れがどうどういっているのが聞こえるようでもあり。
先生と慕うヴィヴァルディの訃報を受けたエミーリアは、同じ教え子で現在《合奏・合唱の娘たち》を率いるアンナ・マリーアとその話をする。同じく教え子で裕福な家の娘ヴェロニカにピエタへの寄付の話をしに行ったエミーリアは、彼女からヴィヴァルディ先生が彼女のために書いたという楽譜を探し出してほしいという依頼を受ける。彼と懇意にしていたというコンティジャーナのクラウディアや、彼の恋人の噂があったパオリーナとジロー嬢の姉妹といった女性たちとの交流、過去への追想を経て、時間は流れていく。
楽譜の行方がとても胸を打ちました。ヴェロニカがなにを思いながらその詩を綴り、その楽譜がどのように流れて行ったのか。形を変えても何かを祝福したいという思いは変わらずそこにあるという清らかさを感じて、つかの間息が止まりました。
静かな映画のような作品でとてもよかった。おすすめされた作品でした。ありがとうございました。
「メリル・フォースター、俺の子供を産んでくれ」魔術学院に通う、いたって平凡な少女メリル。ある日の放課後、彼女は突然名門貴族の美青年ギルベルトに押し倒されてしまって大混乱。しかも彼が迫ってきたのは、メリルの珍しい「体質」を手に入れるためで——!? 家柄にも無駄な美貌にも興味はないし、好きでもない相手に体目的で迫ってくる最低男なんて、お断りです! 逃げる少女と恋に不器用な青年の学院ラブコメディ(裏表紙より)
さほど学園っぽい風景はないんですが、ツッコミ気質なヒロインが、常識が完全にずれている美貌の先輩から逃げ回るラブコメディ。冒頭からギルベルトに対してメリルの台詞がまさしくという感じでした。初対面の人間にその言動は頭おかしいです……。
しかし迫られてやっぱり悪い気はしないもので、改めて向き合ってみるとギルベルトはだいぶとずれているけれどいい人ではあり、ときめきもあり……というのがリアルだなあ笑 好意を向けられるとぐらぐらきちゃうよね。最後の小話でギルベルトがちゃんと最初からメリルに好意を持っていたこともわかったのでよかったな。
妄想に囚われ、妻の浮気を責め続ける夫マサヨシ。単純な嫉妬と見える振る舞いには、本人も気づかぬ深層心理が絡んでいた――。地道な調査とカウンセリングを武器に、家庭裁判所調査官は家族問題の現場へ踏み込む。誰にも起こる感情転移、知的エリート女性の挫折と暴力、「家族」代わりの薬物使用、「家族神話」のダークサイド……。18の家庭に巣食った「しがらみ」の正体を明かし、個人の回復法を示す実例集。(裏表紙より)
2016年刊行の本。実例を取り上げながら、どちらかというと当事者の心理を解くという印象の話が多かったかな。心理学っぽい内容だったように思います。
家庭裁判所に持ち込まれたり、カウンセラーのところにやってくる問題は、家庭、家族を構成するもの全体に事件の原因や理由があるのだなとわかる。子どもだけの話じゃないし、親だけの話でもない。人がどのように生きてきて何に傷ついたのかっていうのが、事件の根本にあるんだなあ。