読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々

「あたしは……ウォレスのことが好きなの」ウィザードを崩壊させるための《種》を託されたエメラルド。(世界のために必要なもの。でもこれをつかったらウォレスが死んでしまう)さまざまな組織の思惑も巻きこみ、非情な選択を迫られたエメラルドは、必死に自分の進むべき未来を探そうとするが——!?「魂だけになっても、絶対にまた会いに行くよ」切ないウォレスの願いは叶えられるのか!? ついに二人の運命が決する、シリーズ完結巻!!(裏表紙より)
むっちゃくちゃいい終わり方をしたシリーズでした。一気に読めてよかった!!!!!
注意:事前に挿絵をめくってはいけません。目次も読まない方がいいでしょう。
ちなみに、私が買った時、カバーが数ページ巻き込んでかけられてあったのでぶうぶうと思いながら直していたら、その挿絵があって「あwせdrftgy」となりました。挿絵トラップ! すごく悲しくなったのでめくらない方がいい!
PR

「君と一緒だと、ぼくはどんどん愚かになっていく」反ウィザード組織《真実の星》に捕らわれたエメラルドは、そんなウォレスのことが気になって仕方ない。だが組織の幹部カルロスに、妥当ウィザードのため協力してほしいと頼まれ、困惑する。一方獅子の一族の若長ラグナは、エメラルドへの想いを抑えきれなくなって!?「逃がしてやる。だから——俺様の側にいてくれよ」この世界の真相も明らかに!? 必読のクライマックス直前巻!(裏表紙より)
「二十歳ののエメリイの〜」という台詞にうっかり目が潤む。いつでも、誰かが未来を望む言葉は切なくて、心の底からの願いに満ちている。
ウォレスがデレもデレで、どういう未来が待っているかというのが示唆されているから、余計に切なく映って苦しい。どうしようもない力で、それでも精一杯に『自分の力』で事態を動かそうとするエメラルドは、だからこそかっこいいのだと思う。
カルロス、ミスラ夫妻がいい雰囲気でとても好きだ。お気に入り。ハルベルトの過去も分かったところで、ラグナの行動と、最終巻へ!

「俺様が嫌いなのか?」聖都マギに向かって旅を続けるエメラルドは、野性的なラグナから寄せられる熱い視線に、心とまどう日々。そんな中彼女は、新たなウィザード候補のコウと、その恋人マリンと仲良くなるが、仲間のウォレスを待ち受けるある残酷な運命を知らされ、激しく動揺する。「愛してると言ったら、ぼくから離れてくれるの?」ウィザード候補になることをかたくなに拒絶するウォレスに隠された秘密とは!? 激情の第4巻!!(裏表紙より)
きた。
きました。あらすじから分かる通り、デレです。
実は挿絵をぱらっとめくってしまって「あwせdrftg」となったので急いで読みました。挿絵はめくっちゃだめだよ! 約束だ!
糖度急上昇でどうしようかと思いました。にやにやにやにy(略)してたんですが、よく考える母上が確か先に読んでいた気がするので、どういう気持ちで読んでいたのか気になりました。
その後のラグナの慰めも、ほのぼのとしていてちょっと切なくてよかった。
マリンの指摘に、「まさか、険悪化!?」と思ったんですが、……エメラルドらしくてよかったと思います。やっぱりエメラルドかっこいい。
コウとマリンは、いい起爆剤になったっぽくて、このさき魔女たちはどうなるんだろうと思いつつ。

「この森を抜けたら別れましょう」追っ手を避けて密林地帯に逃げ込んでエメラルド達一行。エメラルドに惹かれながらもわざと冷たくあたるウォレスに、彼女はついにそう宣言するが直後、聖都マギから派遣された美しきマッドサイエンティストのラドに捕らわれてしまう。「きみの思考を。ひいてはその心をもらうつもりだ」謎の遺跡《巨人(スリサズ)》の力で彼女を操ろうとするラドの魔手が迫る!? 新たなウィザード候補も出現。緊迫の第3巻!(裏表紙より)
色んな決着が見られる巻、かな。
ハルベルトとのやり取りは、エメラルドらしいなと思うと同時にすかっとした。彼女は恋するときもこうであってほしいなあという理想が、やっぱりちょっとはあったみたいだ。エメラルドが治療する辺りもかっこよかったなあ!
アルフェッカとの決着は、こちらもやっぱりエメラルドらしかった。アルフェッカとアトラスとの会話が一番染みた。

美貌の青年ウォレスらと共に旅を続ける見習い魔女のエメラルドは、並の男よりオトコ前な正義感あふれる現実主義者(リアリスト)。だがウォレスはどこかエメラルドには冷たい態度で、二人は気まずい雰囲気に。そんな中、若き国王クリストバルが、ウィザートの特別な加護を受ける《宝石》である彼女を手に入れようと部下を差し向けてきたうえ、なんと結婚を迫ってきて——!?「わたしは君を逃がすつもりはないよ」加速する恋と陰謀の争奪戦!(裏表紙より)
国王に求婚されて囚われるエメラルド、というおいしい展開なわけですが、エメラルドが男前過ぎてわくわくしました。どきどきじゃなくて。どういうかっ飛ばし方で脱するんだろう! という。でもアルフェッカが出るとエメラルドが弱くなるので、そのギャップもおいしいなと思います。ウォレスと同じ顔というところが重要だったりするんだろうか。
この本は1巻だけで読むのを止めると損するなあとこの辺で分かりかけてきた。
![エバー・アフター [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/516QVTXhDAL._SL160_.jpg)
今日は映画「エバーアフター」を見ていました。シンデレラの再話です。
あるところに元気な女の子がいましたが、大好きな父からトマス・モアの「ユートピア」をもらった次の朝、父は後妻と二人の継子と、女の子を残して死んでしまうのです。数年の時を経て成長した女の子は、召使いとして働かされていました。一方、皇太子殿下は政略結婚に反発して城を抜け出して。(以上あらすじ)
授業で飛ばし飛ばし見たのですが、一からしっかり観たら色々伏線があって面白かったです。綺麗ないいお伽話でした。何より乙女心が大変満足しました。登場人物もドレスも舞踏会も結婚式もお裁きも! ときめいたー!
初見の妹と見てたんですが、妹のツッコミと盛り上がり方がまるきり私と同じで、私も思わず声を上げて盛り上がっていました。
例:妹・私「レオナルドぉおおおおお!!!!!」
ちなみに、レオナルドはじっちゃんである。いいじっちゃんである。

ウェブマガジンに連載したものの収録を主として、他の掲載文、エッセイを収録した、ファンタジーと荻原さんの関わりについてのエッセイ集、かな。
トールキンとルイスの話や、他の児童文学、例えば有名どころでダイアナ・ウィン・ジョーンズや、「ハリー・ポッター」などの有名どころの話も絡めて、荻原さんとファンタジーの関わりが書かれていて、非常に興味深く読んだ。
神話を取り扱った場合の恐ろしさというものを読んで、どきどきした。書くことで現れてくるものの恐ろしさに、ぞくりとした。すごい。確かにそう感じることがある。
「空色勾玉」出版までの話を読んで、確かにあれほどの長編は滅多に見なかった覚えがある。
私は中学生になって少しまでずっと児童文学を読んでいたので、思っていたことがある。それは「ハリー・ポッター」ブームによって、海外ファンタジーが多く出版されるようになったなあということ。それまで、日本の児童文学とくにファンタジーは、異世界ものというのがほとんどなく、現代ものか、本当に幼年童話の魔法ものしかないように感じられていて、すごく不満だった。そのファンタジーというのも、非常に薄暗かったり、いうなれば田舎の日本家屋のような印象があるものが多くて、今ならそれはそれで楽しく読めるのだけれど、子どもの私はやっぱり明るい話が読みたかったのだ。ディズニーが大好きだったので、まったく現実とはかけ離れた世界がとても好きだったから、どうしてファンタジーがないんだろうとずっと思っていた。
それが「ハリー・ポッター」が出版された頃に、図書館の本棚にはみるみるうちに児童文学が並ぶようになった。それらは一発で分かる。装丁が豪華なのだ。いい紙を使っているし、フォントもオシャレ、本も新品だからきらきらしている。
嬉しい、と感じるには、私はもう日本の大人の小説を読むようになっていたから、あまり手は出してこなかったけれど。逆に、一般文芸は、私には翻訳物がなかなか合わないのだった。どうも翻訳の文章に違和感を感じる。それなりに色々読んできたから今はあまり気にしないけれど。今は、古典名作を読みたいなあと思っている。

松山中学在任当時の大家員を背景とした初期の代表作。物理学校を卒業後ただちに四国の中学に数学教師として赴任した直情径行の青年”坊っちゃん”が、周囲の愚劣、無気力などに反撥し、職をなげうって東京に帰る。主人公の反俗精神に貫かれた奔放な行動は、滑稽と人情の巧みな交錯となって、漱石の作品中最も広く愛読されている。近代小説に勧善懲悪の主題を復活させた快作である。
読書が趣味と言いつつも実は近代文学はあまり読んだことのないという……なので読んでみた。
非常に文章が軽快だと感じた。読みやすい。
ただ、非常に文章と行動に齟齬を感じるというか、考えているだけで実行に移さないところがあるように思えたので、無鉄砲というわけではないんじゃないかと考えた。色んなことに苛立ちを覚えて、理不尽だと感じたりして、かといって大声を上げるわけでなし。最後の赤シャツと野だに対する成敗は、二人だからやったわけで、一人じゃやらなかったんじゃないかと思ったり。坊っちゃんは本当は臆病者なんじゃないかと。『坊っちゃんの時代』という文庫を読んだけれど、そこでは漱石の臆病さというか、神経質な面が描かれていたと思うので、そう思って重ねてみると、やっぱり本当は坊っちゃんは臆病じゃないのかと考える。