読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々

すごく面白かった! 舞台っていい。
で、余談だけどこの前に「中庭の出来事」を読んでいたので、舞台っていう設定に繋がりがないかなーと思ったんだがそんなことなかった。
響子と飛鳥が光ってる。暗い舞台の中で、二人が向き合っているのがポスターとかだとかっこいいなあと思うのだ。やっぱりオーディションの「欲望という名の電車」はそれぞれに面白かった。
最後、飛鳥がどこか吹っ切れて楽しそうなのがすごーく良かった。きらきらしてた。
本を持っていた時に「チョコレートコスモスって花言葉は愛の別れなんだよ」と人に言われてそうなんだーと思って関係あるのかなとわくわくしながら読み進めていたので、ラスト、花が出て来たのはおおっと思った。コスモスは宇宙とかけてあるんだな。
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もうすごかった。テーマがずっしり来るし、答えの出し方にあっとなった。辻村深月はあっと言わせるのがうまい! それでいて流れが綺麗だ。あらすじを改めて読んで、そうか罪の重さを測ったのかと理解した。
秋先生は「子どもたちは夜と遊ぶ」の秋先生だな。出て来るのは月子と恭司か。真紀ちゃんもちょっとだけ出たか。
私は自分が力を使えるのなら罰の方を「さもなければお前は自分の大切なものを自分で壊す」という風に考えながら読んでいたので、秋先生タイプなのだろうか。
「馬鹿ですね。責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです」
辻村作品の誰かが誰かを思いやる気持ちは、真っ直ぐで、だから痛くて、素敵だ。

短編集。「小さな部屋」「禅僧」「閑山」「紫大納言」「露の答」「桜の森の満開の下」「土の中からの話」「二流の人」「家康」「道鏡」「夜長姫と耳男」「梟雄」「花咲ける石」以上の作品が収録されている。
この頃から付箋を付けて読むようにしているので、そこから引用などをする事にする。
坂口安吾の童話小説は美しくて芸術品のようだ。芸術には醜い物も芸術とする力があるので、美しいと思えるのだ。
「紫大納言」
宇治拾遺物語? 伊勢物語? とか色々考えたが、元が分からない。大納言が天女に縋る言葉は必死でいて詩的だった。
「(中略)償いは、私が、地上で致しましょう。忘れの川、あきらめの野に呼びよせて、必ず涙を涸らしましょう。あなたの悲しみのありさまあなたの涙を再び見ずにすむためならば、靴となって、あなたの足にふまれ、花となって、あなたの髪を飾ることをいといませぬ」
表題作「桜の森の満開の下」
桜の下に行くと発狂するような恐ろしさがあるということを書いて始まる。解説に書いてあったが、男が出会うのは鬼というのにかなり納得してしまった。
ほど経て彼はただ一つのなまあたたかな何物かを感じました。そしてそれが彼自身の胸の悲しみであることに気がつきました。花と虚空の冴えた冷めたさにつつまれて、ほのあたたかいふくらみが、すこしずつ分かりかけてくるのでした。
閉じられた空間で見つめるものは己ばかりという感じ。
一番お気に入りになったのが「夜長姫と耳男」。登場人物の魂がとても高い所にある感じがする。夜長姫は神の視点に立っているし、耳男は芸術家としての苦悩を越えて高みに至ろうとする。ラストの姫の言葉がすごかった。
「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天上に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」
私としてはそれ以外の感情も有り得る。もっと純粋なものが。と思いもしたが、まだ完全な思考に至っていない。しかしやはりこれらの感情も欲からくる純粋なものかなと思ったりもする。
解説にも付箋を付けていた。
「ふるさと」に対する愛と憎しみ、懐かしさと嫌悪といったアンビバレンツな感情はもちろんのこと、「ふるさと」は始源の場所であるのと同時に終極の場所であり、孤独の極みであると同時に孤独を宥める所であり、「むごたらしく、救いのないもの」であるのと同時に、懐かしさと憧れを掻き立てられ、そこにおいて究極的な慰めを見出すものでもある。
安吾は日本的な血縁的、地縁的な共同体としての”ふるさと”を否定するところに「ふるさと」を見ていた。その時、彼の「ふるさと」はむしろ集団性から孤立、逸脱、落伍した”孤独”な個性のほうにあった。
私にとってふるさとは心安らぐ場所であり、血縁的、地縁的な「繋がり」があるところをふるさととするので、坂口安吾の考えを解いたこの説を面白く読んだ。

連作短編集。一つの話は短いもので2ページ、長いもので20ページくらいか。
『はてしない物語』『モモ』『ジムボタンの機関車大旅行』を読んだ身としては、こういうグロテスクで不可思議な話ばかりが続いていると驚いてしまう。ここには子どもが望むような明るい夢ではなくて、永遠に続く悪夢を描いているかのよう。
この物語の中は、生と死というより、永遠の夢、生死の中間地点であるように思う。「湿地のように暗いのは母の顔だ」が恐ろしかった。永遠に続く、というのが表されている気がして。
「手に手をとって、ふたりが道を」では、子どもが授業という形で、楽園を見てきたという男に出会う。子どもが出て来ると、物語が華やぐような印象を持った。
「黒い空のした、ひとの住めない国が」で魔術師がエンデと名乗り、少年が「ミヒャエル」と名付けられ、二人が暮らせるような世界を探しに行こうと言い出すのは、物語を書き進めている作者の姿が浮かんでくる。子どもの心と大人の心を持った自分、そうして自分が望む世界を探しているように思えて、わくわくしつつも少し寂しい気分になった。
樹川さとみ「千の翼の都 翡翠の怪盗ミオン」「366番目の夜」「雪月の花嫁」「時の竜と水の指環」上・下
壁井ユカコ「エンドロールまであと、」
恩田陸「いのちのパレード」「麦の海に沈む果実」「黄昏の百合の骨」「中庭の出来事」「木漏れ日に泳ぐ魚」「朝日のようにさわやかに」「チョコレートコスモス」
井上堅二「バカとテストと召喚獣」
雨木シュウスケ「鋼殻のレギオス」
成田良悟「バッカーノ!」
サン・テグジュペリ「星の王子さま」
倉本由布「天界の翼」「天界の翼 ましろの鎮魂」「天界の翼 はるかの王」
野梨原花南「マルタ・サギーは探偵ですか?」
川端康成「伊豆の踊子」
辻村深月「ぼくのメジャースプーン」
面白かった本
・中庭の出来事
設定が面白い。どこからどこまでが箱(世界)なのか考えた。
・チョコレートコスモス
演劇のテーマが良かった。好きなんだなあ。続きがあるなら彼女たちが演じるホンの話を!
・ぼくのメジャースプーン
やっぱり辻村深月はすごい。私は秋先生タイプらしい。普通に「自分で愛するものを壊す」という罰を考えてしまったー。
樹川さとみ祭りと恩田陸祭りでした。再読も出来て良かった。
壁井ユカコ「エンドロールまであと、」
恩田陸「いのちのパレード」「麦の海に沈む果実」「黄昏の百合の骨」「中庭の出来事」「木漏れ日に泳ぐ魚」「朝日のようにさわやかに」「チョコレートコスモス」
井上堅二「バカとテストと召喚獣」
雨木シュウスケ「鋼殻のレギオス」
成田良悟「バッカーノ!」
サン・テグジュペリ「星の王子さま」
倉本由布「天界の翼」「天界の翼 ましろの鎮魂」「天界の翼 はるかの王」
野梨原花南「マルタ・サギーは探偵ですか?」
川端康成「伊豆の踊子」
辻村深月「ぼくのメジャースプーン」
面白かった本
・中庭の出来事
設定が面白い。どこからどこまでが箱(世界)なのか考えた。
・チョコレートコスモス
演劇のテーマが良かった。好きなんだなあ。続きがあるなら彼女たちが演じるホンの話を!
・ぼくのメジャースプーン
やっぱり辻村深月はすごい。私は秋先生タイプらしい。普通に「自分で愛するものを壊す」という罰を考えてしまったー。
樹川さとみ祭りと恩田陸祭りでした。再読も出来て良かった。

重いSF。読んだ感想は「深い」だった。戦争物らしい戦闘はあるものの、焦点が「人間とは」に当てられているからか、存在関係(人間関係ではない)を深く書いた作品のように思った。
零が冷たいように思われながらも、とても人間らしいと感じた。言語がFAF語という形で変化するほどの戦場で、彼という人間、FAFに所属する、地球では屑という烙印を押され他者を顧みなくなる人々は、「戦場の中の人類」という新しい人類だと思う。そもそも、「人間は必要か」という自分の存在意義を問いかける生き物は人類くらいしかいないように思う。
戦闘は、零が見続けるだけという任務にある為か、素っ気ない。ただ彼自身が戦いの中に飛び込むと、あっというほどの力強さで文章が進んだと思う。ただ戦闘機の構造が分からないので、セントラル・エアデータ・コンピュータなんて言われても分からないのです……。
「フェアリィ・冬」が一番恐ろしく面白かった。コンピューターに向かってブッカー少佐が問いかけるシーンがぞくぞくした。人間と機械のどうしても何があっても相容れないような対立と攻防というのがこわ面白い。

早川書房の異色作家短編集に影響を与えられた著者による「奇想短編シリーズ」14編に一編の書き下ろしを加えた15編。
場所は秘密、参加者も抽選、逸話があるW村の観光旅行に参加した「私」たちは、地面から生えてくる石の手を見る。「観光旅行」
彼女の人生とロボットとスペインの苔に関する「スペインの苔」など。
すごく良かった! 翻訳小説っぽい雰囲気、暗くてユーモアに満ちていて、この表紙がしっくり来るまさに「奇想短編」。あちこちで見る評価がすごく良かったというのと合わなかったというので極端に別れていたので、気になっていたのに私にはすごく合った。シリーズ物好きの母は、「上手い。実力のある作家の作品はやっぱり面白い。けれどもっと膨らましてくれーと思う」とのこと。
「あなたの善良なる教え子より」はテーマが重たくて、でも文学的な感じ(いつもの偏見)がして好きだった。ラストの展開もぞくっとする。
一番好きな「夜想曲」。芸術の神々から祝福を受けたのはロボットの青年という設定、その淡々とした雰囲気が余計興奮させる。
誰かが、恩田陸は振り返った瞬間のぞくぞくっとしたものを書くのが上手いと書いていた(という風に覚えている。全く違う表現だったはず)、その言葉がよく分かる作品集でした。


高校三年生の少年阿良ヶ木暦は怪異に遭遇した。学年でもトップクラスの成績を持つ美少女戦場ヶ原ひたぎには体重がなかったのだ。それまでに二度の怪異に行き会っていた暦はその「お人好し」さを発揮して解決に手を貸す事に。上巻は「ひたぎクラブ」「まよいマイマイ」「するがモンキー」の三編。下巻は「なでこスネイク」「つばさキャット」の二編。
面白い、でも会話がいちいち長くなって少々疲れた。馬鹿みたいに笑えるつっこみとぼけを繰り返すわけで、あとがきを読むにそれが書きたかったらしい。これは若い人が好きだとかちょっと年寄りじみたことを思ったり。女の子キャラばっかりで性格もキャラクターという感じで正直狙ってるなあとびしびし感じた。
短文にして呼吸を置くのが特徴っぽい。
一番好きなのはやっぱり戦場ヶ原なんだけど、神原も羽川さんも好きだなあ。ロリキャラは頂けないので若者たちに好みが偏ってしまう。羽川さんはすごく可愛いんだけどなあ。この子はでもやっぱり主人公と対になるヒロインではないんだなあ。戦場ヶ原はヒロインだと思った、そのデレ具合。

五〇年代アメリカを代表する女性SF作家の短編十一作。子どもと日常的な非日常などを書いた作品を多く収録してある。《ピープル》シリーズ第十三作「忘れられないこと」は、ある女教師が一人の転入生で出会った事で不思議な体験をする。
原文は英語で、訳者がいるはずなのに、テーマや雰囲気など読んだ後のどこか薄ら寒い感じ、影のようなものを見た気がする。喋り方に特に現れていたように思います。
「先生、知ってる?」はすごく好きな作品。「先生、知ってる?」の一言は何かきらきらしたものが隠されているようで可愛いのに、その裏では現実がある、という差が読んでいてすごくいいと思った。
表題作「ページをめくれば」は感動的だった。ページをめくれば誰もが幸福になる。幸福になれると教えは、じいんと響いた。
「もう一度、希望と可能性と純粋の喜びにあふれた輝かしい魔法の朝を、胸をときめかせて迎えることができるとしたら、なにをさしだす? エボー先生はその方法を教えてくれた。わたしたちに約束と希望を与えてくれた。だれだって最後には幸福に暮らせると教えてくれた。だってそう書いてあるから。わたしたちはゆっくりとページをめくりつづければいいの。どうしてそうしないの?」
「ページをめくれば」より
人生を物語に例えることはあるけれど、こうしてページをめくるという形で表現したこの一編、すごく感動した。
すごーく好きな作品だった。読めば読むほど染みる感じがする作品がたくさんある。