読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々

自由惑星同盟の期待を背負い、首都ハイネセンを離れたヤン・ウェンリーは、敵の補給路を断つべく、ゲリラ戦を展開。強大な軍事力を誇る帝国軍にも、遠く離れた敵地での物資調達というアキレス腱があったのだ。神出鬼没の同盟軍に翻弄され、苛立ちを募らせる帝国軍の提督たち——業をにやしたラインハルトは、自らが戦場の前線において、ヤンを誘い出すための囮になることを決意する。壮大な構想と緻密な計算のもとに張りめぐらされた巨大な罠。帝国と同盟、互いの存亡をかけた戦いが、ついに幕を開ける!!(裏表紙より)
こんなに早くヤンとラインハルトが戦うとは思わなかった!
そして、ヤンとフレデリカはおめでとう! 死亡フラグを立てるからどうしようかと思いましたが、無事に戦いが終わってよかったです。しかし大丈夫かこの夫婦。なんだか家事が心もとないような……。
同盟と帝国、二人の天才が邂逅したところは胸が熱くなりました。まったく違うタイプの二人で、歳の差以上にラインハルトは偉そうだし、ヤンの方が丁寧ですが、お互いがお互いの深いところを理解している雰囲気が、なんだかにやにやするような、そわそわするような、ちょっと嬉しい空気を作り出していた会見だったと思います。

著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か。それは、人生いかに生くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的認識とは何かという問題と切り離すことなく問われねばならぬ、というメッセージであった。著者の没後追悼の意をこめて書かれた「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(丸山真男)を付載。(カバー折り返しより)
人から読みなさいとすすめられた本。すすめてくれた方の立場がむにゃむにゃ……なところがあって、ちょっと穿った読み方をしてしまったのですが、非常に道徳的な内容のものだったと思います。
生きていく中で、「あの時、どうして動けなかったんだろう、何かしてあげられなかったんだろう」と内容の大小はあれど後悔して、忘れられないことがいくつかあります。それを思い出させるのが「雪の日の出来事」の章。
こうあればいい、と思うことが詰まっている一冊でした。

貴官の判断によって最善と信ずる行動をとられたし——首都ハイネセンから届いたその訓令文に対して、ヤンがとった行動とは「イゼルローン要塞の放棄」だった。フェザーン自治領を帝国軍に占拠された今、自由惑星同盟の存在は風前のともしびであり、すべての命運はヤン・ウェンリーの双肩に託されることになったのだ。帝国軍の忠誠を一身に集める存在、ラインハルトを倒すこと。それが同盟に残された唯一の勝機であると考えたヤンは、ラインハルトに決戦を挑むため、イゼルローン要塞をあとにするが……!?(裏表紙より)
イゼルローン要塞の放棄、からの、ラインハルトとヤンの前哨戦、という感じ。これから戦いが始まるのか、という中で、なんだか何人かに死亡フラグが見える気がするんですが……! これでいきなりヤンが死んで、ユリアンに代替わりしたらどうしよう! とか。キルヒアイスの件ですっかりトラウマです……。
ところで、ヤンが仕掛けていった数年がかりの罠っていったいなんなのかな。気になる。

小学校の女性教師が自宅で死体となって発見された。傍らには彼女の命を奪ったアンティーク時計が。事故の線も考えられたが、状況は殺人を物語っていた。ガラス切りを使って外された窓の鍵、睡眠薬が混入された箱詰めのチョコレート。彼女の同僚が容疑者として浮かび上がり、事件は容易に解決を迎えるかと思われたが……『慟哭』の作者が本格ミステリの極限に挑んだ衝撃の問題作。(裏表紙より)
とある殺人事件を、様々な人がそれぞれの思惑と推理で見た作品。もやもやするけど、そのもやもやが面白い! 人が死んだことを、それぞれに受け止めて、言い方は悪いけど自分の物語にしてしまう。そういう話が、もう本当に気持ち悪くて。
結局誰が犯人か、真相は、というところは明かされないので、ミステリというより人間の心理を描いた連作短編集だな、と思いました。面白かった。

脳科学についての本なんですが、結局どういう本なのかと尋ねられると、ざっくりまとめるのが難しい……。昨今の脳科学ブームによる、脳科学への信仰みたいなものについてのぼやきとか、どんなことを実験しているのかとか、仮想空間についてとか、脳のはたらきがどんなものに関わっていくのかという話かな。
メディアが流す「これでなんでも説明がつく」という脳科学=ファンタジーみたいな図式になってる、というのになるほどなあと納得がいきました。私は文系脳なので、脳とかこころとか言われると、すごく万能で超兵器に転用されるみたいなイメージに繋がっていくので、サルの実験を通して、脳のはたらきを見つつ、社会性とはというものを観察していくのはとても興味深くて面白かった。目の動きで上下の立ち位置が表せるらしいと。なるほど……。

花嫁として鬼ヶ里に迎え入れられながら、その鬼に捨てられた桃子。家に帰る選択肢はなく、嘲笑の的になりながらも鬼ヶ里高校に通っていたが、ある日鬼頭の花嫁である神無がやってくる。自身へのコンプレックスから、神無に接近する桃子。ふとしたことで知り合った堀川響にその気持ちを利用され、神無を陥れるが……。
ナイス配役! な桃子だったと思います。一番イメージに近かった。「馬っ鹿じゃないの!?」と言い方とか、喋り方とか振る舞いとか、もうまんま桃子でした。響とのやりとりが、真剣でギスギスしてるのにラブコメで、気の強い桃子だからこその言動が気持ちよくて、楽しい。オリジナルエピソードも入っていましたが、鬼と花嫁の関係をよく表したエピソードで、面白かった。
華鬼×神無編でも描かれていた響との戦いで、神無を迎えにきた華鬼が「だから出て行けって言っただろ」というシーンをたまたま通りすがった妹がいきなり笑い出して、「言い方めっちゃ優しくなってる」と言うので、だよね!? と笑いました。
桃子のうしろで、華鬼と神無が進展してる(二巻以降のやりとりで続いてるらしい)のが面白い。そして大事なところ、二人が逃げているところで、ちゃんと神無のところに駆けつけて真剣かつ優しく「何があった」と聞いてくれる! ちゃんと描かれるより、そういうところで進展してますっていう焦らしプレイがほんとたまらない……! 映画版の華鬼が、神無の作ったご飯を(口に合う)とか思いながら食べ、言葉のやり取りはほとんどないのに二人で一緒に寝るのが当たり前になり、庇護翼とちゃんと会話できるようになる鬼頭になるのかと思うと、床をローリングする。かわいすぎてもえしぬ。
ヒーローとしては、響はヒールですが一番男前で少女漫画だったように思います。強引俺様系。桃子との相性が抜群で、ラブシーンがきゃーっと悲鳴を上げる感じで楽しかった。ラストは反則! 屋上のシーンが全部可愛かった! 不覚にもときめいたわ!
三部作ぶっ通しで見ましたが(記事は一日一記事にしています)想像したよりも面白かったです。実写化ということで作り物っぽいファンタジーかと思ったら、ある程度現実っぽくしてあって、薄暗くて、よかったと思います。いや、私が単に「ほーこういう実写化かー」と面白がってるだけかもしれませんが……。
三つのどれも面白くて、でも一言言うなら、華鬼と神無の仲良くなっているところをもっと!!! 見たかった!!! でも最高の焦らしプレイだったと思います。裏側で仲良くなってる二人……ときめくわ……。

神無の世話をしたもえぎは、16歳のとき、高槻麗二の花嫁として鬼ヶ里に連れてこられた。16歳で結婚、しかも相手が五百歳のおじいさんとなんていや! と逃げ出すが、結局しばらくの間だけ一緒に暮らすことに渋々同意するもえぎ。だが、同じクラスで隣の席になった堀川響が暗躍し、鬼の花嫁を食らう凝り鬼を解き放ってしまう。
麗二さんの優しい喋り方と表情が好きです。この方、ゴーカイジャーのバスコなんですよね。いいイケメンだ……。
もえぎも気が強くて可愛いなー。原作のほんわか最強とはちょっと強さの方向が違いましたが、喋り方も立ち居振る舞いもしっかりしていて、将来の片鱗が見えて面白い。
原作でも触れられていたもえぎと響と同級生だったという話が面白いなと思ったんですが、もえぎは、神無とも同級生になった響のこと、かなり面白がってたんじゃないかなあと想像しました。
どきどきな共同生活、というよりは、恋を始めましょうという感じの駆け引きが面白くて、初夜のシーンとお風呂のシーンは笑いましたし、にやにやしました。この映画の麗二が言うと「確かめ合うんです」の台詞がもうすっごいときめきで! なんだその余裕たっぷりなきょとん顔! もえるわー!(ごろごろ)
しかし自転車駆ってくる麗二がちょっと面白かった。車じゃないのかそこは! って思いながら、ラストで二人が歩いているシーンももえたので自転車サイコー! ってなりました(現金)。そして、車に乗ってる国一がかっこよかったです。

16歳の朝霧神無は、幼少時から意図せず男たちに狙われ、その度に自身を傷つけることを繰り返してきた。ある朝、士都麻光晴と名乗る男がやってきて「迎えにきた」と告げ、神無を鬼ヶ里と呼ばれるところへ連れて行く。身体に花の痣を持つ神無は、生まれる前に鬼によって印を付けられた鬼の花嫁だった。そして神無に印をつけた鬼とは、現在最も強い鬼・鬼頭とされる、華鬼。だが、華鬼は神無に強い憎しみを向けてきて……。
原作が面白かったので、映画も見てみることにしました。ちょっと不安だったんですけど、思ったよりも面白かった……! 小説のイメージや挿絵のままで入ると、ちょっと入りづらくてもぞもぞしてたんですが、見ているうちに、「神無がかわいいわ……」「イケメンでこの台詞ははずい……」とか楽しめるようになってました。いやー少女小説の世界を実写化されると台詞のあれこれやシチュエーションがすっごい恥ずかしいことがよくわかりました。
何が好きって、光晴の低音ボイスとえせ関西弁がツボ……! お笑い要員だと思ってたけど、映画ではがっつりしっかりヒーローのライバル的なキャラクターに仕上がっていて、見ているこっちがちょっとぐらつきました。
あと、神無の最初のセーラー服と、鬼ヶ里高校のセーラー服の差、というか、鬼ヶ里高校の制服の、セーラー服なのに女の子によく似合ってる形になっていて普通の学校よりちょっとおしゃれの私立って分かるところがすごくツボりました。細身の神無に、灰色スカートのセーラー服はよく似合ってたんですよ……。
ちなみに一番大きくツッコミたかったのは、鬼と花嫁って全員美形じゃないんかい! です。結婚式のあの広間、もうちょっとなんかなかったんか! どう考えても組の人みたいな感じでした。刻印を地味してるくせにここはこれかと。ここは気位高いいやらしい雰囲気にしてほしかったよ!
結構血がぐしゃーってなるシーンがあって、そこはちょっとうってなったんですが、全体的に薄暗いトーンの邦画らしさが学園伝奇のジャンルに合っていたと思います。しかしいいところで終わってしまったので、映画の華鬼と神無が急接近していくシーンを見たかった!