読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々
広告代理店に務めるヘレンは、会社を首になったその日、地下鉄に乗り損ねる……が、もう一つの時間軸では乗車に間に合い、隣席に座った男性ジェームズと知り合い、帰宅すると彼氏ジェリーの浮気現場を目撃する。一方、地下鉄に乗れなかった方のヘレンは同棲しているジェリーの浮気に気付かないまま、彼のためにウェイトレスの仕事を始める。
運命の分岐点で一人の女性の人生が変わる。平行世界、バタフライ効果が作用した二つの人生を交互に追っていく物語。途中からどちらも不幸になるんじゃないかと思って頭を抱えて見ていました。同じような出来事、しかしそれが起こる人が微妙に違うところがもうはらはら。
ジェリーとジェームズ、不誠実と誠実さがラストではっきり描かれているのが面白い。本気で探してくれるかどうか、でジェームズがどんな人間なのかは分かったのですが真実を口にしてもらえるまでどきどきしました。そして、この真実がラストに大きな効果と予感をもたらす。ネタバレになるから言えないのだけれど、今度は不幸にはならないだろう。最初の台詞が最後にまで生きるというのが、本当にうまいなあ!
平行世界ものの「バタフライ・エフェクト」は痛いくらい必死に世界戦を越える物語でしたが、この「スライディング・ドア」は誰も分岐点の存在に気付いていないおかげで、はらはらするのはこちらだけでほっと見れました。誰かが痛い想いをしたり必死に足掻いたりするのもすごく、すごく面白いのですが胸がきりきりしてしんどいので……。こういう気楽な平行ものも面白いと思いました。
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生まれたときから孤児院に暮らすエヴァンは、常に世界に満ちる音楽の音色を聞いている。それは、きっと両親からもらったものだと信じて。ある日、その音楽に従って孤児院を抜け出し、ニューヨークを訪れたエヴァンは、偶然出会った浮浪児の少年アーサーと、彼ら子どもたちを束ねて音楽をやらせて稼いでいるウィザートという男に才能を見出され……。
耳を澄ませば音楽が聞こえる、両親からくれた音楽だ……というモノローグから泣かせにくるので涙腺を引き締めるのに苦労しました。最初に涙腺が決壊したのは、ジェフリーズがエヴァンと懇談している時、口笛を吹いて聞かせて、この子は何か違うなという表情をして自分の電話番号を渡すところ。ちゃんと気付いてくれる人がいるんだ、この子はきっと大変な思いをするけど大丈夫だ、という希望を感じて涙。早い。
このエヴァンの物語の間に、十一年前の彼の両親の出会いと現在の二人の物語が入ってくるのですが、音楽に導かれた二人がエヴァンのいるニューヨークにやってくるところから、いつ会えるのか、本当に会えるのかはらはらどきどきする。子どもが生きていることをようやく知らされたライラと、音楽を諦めライラを忘れようとしていたルイス、それぞれの気持ちも分かる気がして、こちらもどきどき。
エヴァンは音楽が父母からもたらされたものだと信じ届くように奏で、彼を拾ったウィザードは音楽の力を信じているようで金儲けの道具にしている。父ルイスにとっては苦い思い出と夢。音楽に見出すものは人それぞれ。家族三人がゆっくりと近付いてくるところもあって、音楽は神様のものだというのを強く感じました。
感動した。涙が出た。いい話だった。オススメ、ありがとうございました!
自宅が取り壊されることに抗議していたアーサーは、友人のフォードに「自分は宇宙人で、あと十分で地球が消滅する」と告げられる。自宅が破壊されている最中、ヴォゴン人の宇宙船が襲来、地球は消滅してしまう。何が起こっているかわからないアーサーに、フォードは宇宙で一番売れたという自著「銀河ヒッチハイク・ガイド」を読ませる。そうして、宇宙大統領ゼイフォード、トリリアン、ロボットのマーヴィンに出会ったアーサーは、とある星に行くべく旅を始める。
原作がスラップスティックSFシリーズで、イギリスでは大人気の作品だという前情報と、マーティン・フリーマンが主演だということで見ました。チープでバカなSF映画でした。冒頭の「魚をありがとう」で半笑いの顔を妹に向けたら爆笑された。
「魚をありがとう」とは、人類は自分たちを地球上で一番賢い存在だと思っていたが、実は三番目。二番目だったイルカは地球が滅びるという銀河の立ち退き警告を知っていたので、大抵が優しい人類にもそれを伝えようとしたが、輪くぐりしたりボールを突いて遊んでいるとしか思われなかったので仕方なく地球を後にする、その別れの歌、です。長い。
人類の驕りやイルカのくだりもそうですが、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」についてスーパーコンピューターに尋ねた結果、「42」という意味不明な答えが算出され、その答えに該当する「究極の問い」の存在が不明というのも、かなり皮肉がきいています。全編ジョークがきつすぎてどこでどんな顔をしたらいいのか分からないの……。
銀河のおかしなところや発明品や、宇宙人の設定が楽しい。メインメンバーではゼイフォードが馬鹿で面白かったんですが、アーサーがもうちょっと振り回されてたらよかったのにと思います。舞台っぽいと感じたり小説らしい話運びで、出てきたものの意味が後から驚くようなものだったりするところがおおっと思いました。
出演者のビル・ナイさんが好きだ。特典映像の演技って、何かのパロディなのかな。しかしかっこいいよなあ……。
でたらめな地図に隠された意味、しゃべる壁に隔てられた青年、川に振りかけられた香水、現れた住職と失踪した研究者、頭蓋骨を探す映画監督、楽器なしで奏でられる音楽。
日常のなかにふと顔をのぞかせる、幻想と現実が交差する瞬間。美学・芸術学を専門とする若き大学教授、通称「黒猫」は、美学理論の講義を通して、その謎を解き明かしてゆく。(カバー折り返しより)
読んだのは単行本。最近よくタイトルを見かけるので読んでみようと。
若干事件性があったりもする謎を、美学・芸術学の天才教授通称「黒猫」と、その付き人を任された院生の「私」が解いていく、連作短編集。教授という設定を存分に生かした、ポオをはじめとする文学、建築学などの講義(うんちく)が挟まり、それが謎の答えに関わる、という流れ。文章はあんまりお上手ではないと感じたのですが、謎の提示、解決に至るまでに、黒猫と私さんのキャラクターが表れる部分が面白くて、すいすいと読めて楽しかったです。表紙も可愛い。
森の中、壁に囲まれた封鎖された学校には、五つの寮に最年少は赤、最年長は紫のリボンをつけた少女たちが暮らしている。最年少として入ってきたイリス、校長に選ばれることを望むアリス、卒業を控えたビアンカ……彼女たちはどこへ行くのか。
少女、箱庭学園、というイメージに引かれて見始めましたが、冒頭から水のシーンが始まったのでそういう予感しかしませんでした。恐いんですよ! 水=女性=性のイメージが! そうして初っ端から棺に横たわっている裸体の少女が出てくるので、もう腹をくくりました。性的倒錯(少女趣味。ロリータ)が感じられる作品なので、最後まで見るとあてられました……若干酔った……。
最上級生に懐く最年少のイリスと、卒業していった生徒を失い反発する最年少から一つ上がったセルマ。選ばれたいこと、外に出ることを望むアリス。出て行きたくないと思いながら否応無しにその時を迎える最年長のビアンカと後を継ぐナディア。この揺れが、子どもらしさ少女らしさを段階で現しているようですごく示唆的。他にも違う年齢の少女がいるのですが、イリス、アリス、ビアンカが大きな段階を現しているのかな。ビアンカの後を継ぐナディアが「嫌だ」と言うのも、なんかこう、ああ分かる、恐いよね……ともぞもぞします。
とにかく少女ばかりの箱庭、薄暗い森の中で大人も全員女性だというのは恐いです。薄暗いし、みんな言葉少なだし、無知故のシーン(正直「これはあかん……」と思ったものがいくつもあった……)、意味深なシーンが続くので、とにかく「何かが起こっている」と感じるのが恐い。それは、多分彼女たちの変化だし、倒錯的な繋がり方だし、彼女たちの怯えだと思う。「外に出たい」という意志がすごくまっとうに感じられてくる世界観。彼女たちは売られる少女たちだったらどうしようとか、世界が滅んでて管理されてたらどうしようとか考えながら怖々見ましたが、何か変だと思ったのが若い先生二人の仕草でした。つまり健全と不健全、自然の摂理に逆らうかどうかの話だろうか……。
箱庭ものは、外の世界はとんでもなく恐ろしいというものか、外の世界は楽園だというもののどちらかなのですが……この結果は言わないでおきます。しかし、最後「ああああ」と内心で思わず突っ伏した、というか、考えていた部分も含め結末が腑に落ちたので、良い映画でした。
でも結局、彼女たちはどこから来たのかというのが気になる。大人が出て来ないので、個人的に管理社会になっている近未来世界なら面白いなーと思う。
大手出版社・千石社の週刊誌編集部に所属していた新見は、文芸誌に関わることを目指していたが、その春、下った辞令は、なんと少女雑誌編集部への異動。望まぬ部署、けばけばしいファッションや小物、ローティーンの少女たちに関わることになった新見は、やる気なくただ仕事をしていたが……。
編集者もの。もう冒頭から完全にやる気がない主人公、新見がひどい。細々した仕事はちゃんとしているんだろうけれど、常に不満を抱えているのはちょっと……。でも、二十六歳の男の人に、中学生女子が好きなものを詰め込んだ雑誌を作っていけと言われても無理か。
作っている人の苦悩、編集者の、というのが面白い。会社、事務所の思惑も絡んできて、大人の世界ってたいへん……と思うなどする。人との繋がりがすごい影響を及ぼす大人の世界こわい。大人の思惑で、中学生の女の子の明暗が分かれるというのが辛い。そう思って読んでいくと、どんな少女モデルも、雑誌を卒業した後はなにがしかの形で輝かしい場所を目指していこうとする、というのが、ぐっとくる。夢の輝きは痛くて苦しいけれど、憧れてしまう気持ち、分かるかもしれない。
マクロス・ギャラクシーに総攻撃をかけたバジュラの軍勢が、フロンティアに移動し、交戦状態となったものの、シェリルに依頼されたS.M.Sがそれを退けた、その後。シェリルとともに歌ったランカは超時空シンデレラとして順調に歌手活動を行うも、シェリルの体調が次第に悪化していく。その裏側では、バジュラの母星と銀河征服を目論む一派が、二人の歌姫を狙っていた。
予告編のウェディングでhshsしていたんですが、やっぱりねー!!!(血涙) という始まりでした。いい、夢、だった、ぜ……。
最初の方の南の島でのシーンが「マクロスゼロ」との対比だー! と思ってテンションが上がりました。本編もゼロからの流れなんだなーというのがよく分かりました。この興奮は私がテレビ版をちゃんと見ていないせいでしょうけれどもね!
しかし、ちょこちょこ展開がおかしい……というか、多分視聴者へのサービス部分が流れとしておかしいところがところどころあって、その辺りに噴き出して真剣に見れなくてすみませんでした。しかし、「姫とは呼べないな」の二人の顔がイケメンでぎゃっと叫ぶ。
「イツワリノウタヒメ」が日常から非日常への移行部分だとしたら、「サヨナラノツバサ」は非日常から日常のために戦う物語でしょうか。こういう風に日常と非日常を行ったり来たりするのが物語なんだなと思う。
娘フロの流れは前のめりでした。シェリル本当にかっこいい……! 廃墟の歌姫、めちゃめちゃかっこよかったです。トライアングルはどう決着するのかと思ったら、そういう流れかー。
「マクロスゼロ」の結末を考えると、よく分かるエンドだったと思います。マオが見送ったようにシェリルも見送りはしたものの、彼女は自分の力を使い果たして出来るかぎりのことをしたし、言葉も聞けた。これ、もしこの流れを汲んでその後の話を想像すると、たぎるなー!! 時と銀河を隔てて二人の関係者が巡り会うことがあったら全私が歓喜するのでよろしくお願いします。といいながらも、これはテレビ版ではないのだった……〇| ̄|_
物語をまとめるべく話を切ったり、新しい話を入れたりして、でも全く違うストーリーになっていたので面白かった! ただ敵側の目的の必死がいまいち伝わりづらいです。銀河支配って規模でかすぎな上に異星生命体の特殊能力で可能になるものなのか。王道な展開の運びは「やっぱりキター」と楽しかったんですけれどね! 総合的に、面白かったです。期待していなかったくせに、やっぱり娘フロからサヨツバメドレーで胸をときめかせたのだった。CDを繰り返し聞いているところです。シェリルとランカとアルトがますます好きになりました。幼少エピソードの追加は反則だと思いました。シェリル、シェリルまじ、かわ……。
他のシリーズを見ていたらもっと分かる部分もあったのかな。だったら他のシリーズも是非見てみたい。
マクロス・フロンティア船団に、マクロス・ギャラクシーから銀河の妖精、歌姫シェリル・ノームがやってくる。ライブに参加した早乙女アルト、ランカ・リーは、ライブ当日、マクロス・フロンティアに異星生命体の襲撃を受けたことをきっかけに、その戦いに深く関わっていくことになる。
テレビ版は実はとびとびでしか見ていないのと、マクロスシリーズは他に「マクロスゼロ」しか見ていないので、曖昧な知識ですが、フロンティアはめちゃめちゃ好きでした。ので、やっと映画を見る。
テレビ版に比べて、登場人物がだいぶと幼い。言動もそうだし、日常の送り方も普通の十代という感じ。それが突然非日常に放り込まれて、迷う少年少女たちがいい感じです。アルトはふらふらしすぎですが、シェリルはかなり可愛い女の子で、ランカは一生懸命で事件に翻弄される女の子。
かなりストーリーは違っていますが、歌がキーになって物語が展開していくのがはっきりと分かって、テンションが上がります。歌がメインすぎて登場人物の言動がちょっとおかしかったり我がままが過ぎるところが見えたりするんですが……しかし歌はいい。菅野音楽はとってもいいです。あくまで物語は少年少女の関係性という印象で、マクロス特有の三角関係と前述した音楽というものが前面に押し出されたものだなーと感じました。後編の「サヨナラツノツバサ」ではその関係に答えが出るということで、次。
旅仕事の父に伴われてやってきた少年とある町の少女との特別な絆。30年後に再会した二人が背負う人生の苦さと思い出の甘やかさ「イラクサ」。孤独な未婚の家政婦が少女たちの偽のラブレターにひっかかるが、思わぬ顛末となる「恋占い」。ただ一度の息をのむような不倫の体験を胸に抱いて生きる女性「記憶に残っていること」。不実な夫が痴呆症の妻によせる恋にも似た感情「クマが山を越えてきた」など、驚くべき完成度の全九篇。(帯より)
2013年ノーベル文学賞受賞者、アリス・マンローさんの短編集。普段こういう受賞作とか受賞者の作品は好んで読まないのですが、女性が書いているというのが気になったのでめずらしく読んでみることにしました。前情報は、カナダ文学の人、短編の名手と言われていることくらい。
「恋占い」「浮橋」「家に伝わる家具」「なぐさめ」「イラクサ」「ポスト・アンド・ビーム」「記憶に残っていること」「クィーニー」「クマが山を越えてきた」の九編なんですが……失礼ながらタイトルだけでどんな話か想像するのが困難な短編が多いです。しょっぱなの「恋占い」はこのタイトルなのに「孤独な未婚の家政婦が少女たちの偽のラブレターにひっかかるが、思わぬ顛末となる」話なのですが、読み終わった後タイトルと本文を眺めやるとちょっと不思議な印象になる。「恋占い」って最終的にどういうこと? みたいな。
すべての短編が、人生の苦さ、過去のきらめき、貧しさと裕福さといった少し物寂しい雰囲気を漂わせている。読み終わった後は、田舎の人々のあるあるな人物像や、家族、両親と子、夫婦の時折目に映る亀裂や、亀裂そのものが入る瞬間のことなどを上手く描く方なのかなあと思いました。そういう海外の田舎や家族がどういうものかという知識がないので、そういうものなのかと勉強になった。
短編ばかりなのに、情報が多く、人生のある時点でその人が過去を振り返ったりなどするので、人の生活、人生がぎゅっと詰まっているので読み応えがありました。確かに名手と呼ばれるだけはあるなあ。
長崎県、五島列島の中学にある合唱部は、顧問の松山先生が産休に入るにあたって、臨時講師を迎えることになった。東京からやってきた柏木先生は、黒い髪の美人。新学期、合唱部は新しい部員を迎えることになったけれど、先生目当ての男子部員たちが入部して……。仲違いをしたり、声を合わせたりしながら、合唱部は、NHK全国学校音楽コンクールの地区大会を目指していく。
中学生と合唱。もちろん、中田さんが得意(であろう)「ぼっち」な男子も登場します。特に目立たないナズナ、そしてサトルの二人の視点から、Nコンを目指す約一年が描かれる。中学生という生き物はどこであっても変わりなくて、女子の「ちょっと男子ィ」な感じとか、男子の馬鹿っぽさとか、そういうものがリアルだわーと思って読みました。それぞれにドラマがあって、何もかもが解決するわけじゃないけれど、ひとつひとつ大人になっていく感触が心地いいです。この作品でのNコンの課題曲は「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」。中学生の話を書くには完璧なテーマだなあと思う。
ただの中学生ものかと思いきや、終盤にははっとする秘密が明らかになったり、やっぱり人の力を感じる青春ものだったりと、面白かったです。ちょっと泣きました。生きていることは辛くて、時々、すごく奇跡だ。