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桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

短編集。「小さな部屋」「禅僧」「閑山」「紫大納言」「露の答」「桜の森の満開の下」「土の中からの話」「二流の人」「家康」「道鏡」「夜長姫と耳男」「梟雄」「花咲ける石」以上の作品が収録されている。
この頃から付箋を付けて読むようにしているので、そこから引用などをする事にする。
坂口安吾の童話小説は美しくて芸術品のようだ。芸術には醜い物も芸術とする力があるので、美しいと思えるのだ。

「紫大納言」
宇治拾遺物語? 伊勢物語? とか色々考えたが、元が分からない。大納言が天女に縋る言葉は必死でいて詩的だった。
「(中略)償いは、私が、地上で致しましょう。忘れの川、あきらめの野に呼びよせて、必ず涙を涸らしましょう。あなたの悲しみのありさまあなたの涙を再び見ずにすむためならば、靴となって、あなたの足にふまれ、花となって、あなたの髪を飾ることをいといませぬ」


表題作「桜の森の満開の下」
桜の下に行くと発狂するような恐ろしさがあるということを書いて始まる。解説に書いてあったが、男が出会うのは鬼というのにかなり納得してしまった。
 ほど経て彼はただ一つのなまあたたかな何物かを感じました。そしてそれが彼自身の胸の悲しみであることに気がつきました。花と虚空の冴えた冷めたさにつつまれて、ほのあたたかいふくらみが、すこしずつ分かりかけてくるのでした。

閉じられた空間で見つめるものは己ばかりという感じ。

一番お気に入りになったのが「夜長姫と耳男」。登場人物の魂がとても高い所にある感じがする。夜長姫は神の視点に立っているし、耳男は芸術家としての苦悩を越えて高みに至ろうとする。ラストの姫の言葉がすごかった。
「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天上に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」

私としてはそれ以外の感情も有り得る。もっと純粋なものが。と思いもしたが、まだ完全な思考に至っていない。しかしやはりこれらの感情も欲からくる純粋なものかなと思ったりもする。

解説にも付箋を付けていた。
「ふるさと」に対する愛と憎しみ、懐かしさと嫌悪といったアンビバレンツな感情はもちろんのこと、「ふるさと」は始源の場所であるのと同時に終極の場所であり、孤独の極みであると同時に孤独を宥める所であり、「むごたらしく、救いのないもの」であるのと同時に、懐かしさと憧れを掻き立てられ、そこにおいて究極的な慰めを見出すものでもある。

安吾は日本的な血縁的、地縁的な共同体としての”ふるさと”を否定するところに「ふるさと」を見ていた。その時、彼の「ふるさと」はむしろ集団性から孤立、逸脱、落伍した”孤独”な個性のほうにあった。

私にとってふるさとは心安らぐ場所であり、血縁的、地縁的な「繋がり」があるところをふるさととするので、坂口安吾の考えを解いたこの説を面白く読んだ。
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