読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々

1870年代ロシア。政府高官カレーニンの美貌の妻アンナは、やってきたモスクワで若い将校のヴロンスキーと出会い、恋に落ちる。そのヴロンスキーに結婚を期待する兄嫁の娘キティだったが、すげなくされ、寝付いてしまった。一方でアンナとヴロンスキーは急接近し、不貞がかレーニンにばれてしまうが……。
映画の画面作りがとても美しい。色彩も構図も、人物の位置もかなり舞台的で映像的。一瞬一瞬を切り抜いて、その状況を強調するような画面構成がめちゃくちゃ美しい。
神の掟に背いたか、神の掟に従うとはどういうことなのか、という主題は置いておいて、とにかく放埓で己が欲望のまま生きるか、恥を知りながらも淡々と慎ましく生きるのか、どちらがよいだろうかということでしょうか。なんというか、外国文学って何も持たない、失敗が多い、恥を知っているということが美徳の世界だなあと思います。そしてそれがどの国でも共通しているような。
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江戸時代末期、宇宙から襲来した「天人」によって日本は開国し、天人の台頭と廃刀令により侍の存在が薄れていく頃。万事屋を営む坂田銀時、廃れた剣術道場の息子の新八、夜兎族の神楽は、将軍様のカブト探しから、妖刀やテロ騒ぎと日々せわしなく。
原作は読んだことあり。福田監督の癖というか、ああこういうタイプの作品が得意なんだなと思いました。だからヲタ恋はちょっとずれてたんだな、とか。
原作に忠実な実写クオリティもすごいんですが、惜しみなく使われるパロディが、原作やアニメが好きだった人にはたまらんだろうという大盤振る舞い。どうしようもなくて吹き出すこと多々。ただ三次元の人に銀魂的下ネタを口にさせるのは若干居心地が悪く、なんかごめんという気持ちに……笑 しかし役者さんたちの振り切った演技がb素晴らしく、楽しかったです。

敬虔なカトリック教徒の双子のマクマナス兄弟は、ある日ロシアンマフィアと争い、殺害してしまう。拘置所にとどめ置かれた二人は「悪人は殺しても構わない」という神の啓示を受け、釈放後、法で裁けない悪人たちを次々に殺害していく。
話の面白いところをつまんでいる感じなんだけれど、チープっぽさが味というか、不思議な魅力を持つ作品で、なんか好きだと思ってしまった。悔しい。
神への祈りを唱えながら悪人を殺して回る双子。彼らを追う警察はそんな二人の未熟さに振り回されながら、共感する心を止められない。カルト的人気作となったとWikipediaにあるんですけど、話自体もそんな感じで、魅せられた人はとことこんのめり込んでしまうような怪しい魅力がある。

成瀬順はかつて夢見がちな小学生だった。山の上のお城(※ラブホテル)では舞踏会が行われていると思っていたし、いつか王子様が迎えにくるのだと思っていたけれど、ある日そこから父と浮気相手が出てくるのを目撃し、家庭は崩壊。家を去る父に「全部お前のせいじゃないか」と言い捨てられたことが心の傷となり、話すことを封じてしまった。だが高校二年生になった順は、担任からクラスメートとともに地域交流会の実行委員に任命されてしまう。
おしゃべりを封じた少女の辛くて苦しくて熱くて優しい青春もの。全部が全部うまくいかないところが現実のクオリティですね。リアルだ。その分クラスメートたちの優しさや寄り添い方が非現実的で、あまりにもみんなが優しい……。普通じゃないってもうとことん弾かれがちなんだと思うんですけれど、でもよかった。ミュージカルもクオリティを保っていてよかった。
登場人物が全員器用じゃないところがいい。大人も含めて。けれどその不器用さとまっすぐさが許されるお話だったように思います。

両親が離婚し、母親に引き取られるはずが事故死したため、一人になった九歳の蓮は、親戚の手をはねのけて街をさまよっていたとところを熊のような姿をしたバケモノの熊徹と出会う。一人で生きていきたいという蓮と、弟子を取らなければならない熊徹は師と弟子の関係になるが、バケモノの世界「渋天街」に暮らす人間は心に闇を宿し、大変な災厄をもたらすと言い伝えられていて……。
擬似親子、いいなあ。九太がよくできたいい子というか、無骨ながらも真摯な若者に育っていてにやにやしてしまう。楓もこんな高校生いないよってくらいいい子で、だから世の中から弾かれ気味なんだろうなあとも思う。
血の繋がりで親子になるかならないか。血の繋がりがなくとも親子なのか。「親子」の色々な形が見えるけれど、やっぱり熊徹だよ。だめだめな男が一角の人物になって、さらにっていう展開が熱い。
そして癒しは二郎丸でした。君は本当にいいやつだな。得難いやつだよ本当に。

大叔母のもとで暮らす11歳のメアリは好奇心旺盛ながらもいろんなことがうまくいかず、落ち込む毎日を送っていた。けれどある日森の奥で見たことのない花を見つける。すると見つけた箒が空を飛び、魔女の国に入り込んでしまった。そこでは赤毛とエメラルドの瞳がもてはやされ、様々な勘違いでメアリは天才魔女だと勘違いされてしまい……。
とても児童文学らしい、少女と魔女と成長の物語だったなあ。最初のメアリの何もできなさ具合は成長ものによく見られる特徴だと思うんですが、空回っているのがかわいそうで……。一生懸命なのにうまくいかないってきつい。居場所が欲しいだけなのにね……。ただそこから天才魔女だと勘違いされてもてはやされていい気になるところは、ああー子どもだなーと苦笑い。
映像の細かさ、大叔母の家やエンドア大学、特に魔女シャーロットの家の美しさは格別で、素敵です。あんな家で暮らしたい。

宇宙世紀0079年、ヨナ、ミシェル、リタの三人はジオンのコロニー落としを予見したことで大勢の人々を救った。だがこの能力を求めた地球連邦軍により、強化人間の実験施設に収容されることになる。ニュータイプの力を覚醒させていたリタは三人の中で最も特別で、ヨナとミシェルの心のよりどころだったが、その道は分かたれてしまい……。
ガンダムUCのその後の話。ラプラスの箱を巡る事変が一応の収束を見たものの、ガンダムの二機、ユニコーンとバンシィは解体されている。みんなそれぞれ、自分のなすべきところにいる。その中で、三機目のフェネクスが出現する。三人組というのがいいですね。それもよくある三角関係な男女模様ではなく、たった一人特別な友人がいる、という。この存在がまた祝福であり呪いなんだよなあ。
ニュータイプの存在が認知されるようになってきた世界だからこその攻防や人間模様も、続編という感じ。そしてまたとてもラストがいい。まったく別の「ニュータイプ」に受け渡されるんじゃなく、多くの人々のうちの一人であるヨナへ、バナージから、というのが。

ナルニアから現代に戻ったペペンシー兄妹。折しも、戦争の影がちらつく世界。ピーターとスーザンはアメリカへ、エドマンドとルーシーは従兄弟のユースチスがいる家へ疎開していた。ナルニアを馬鹿にするユースチスと、エドマンドとルーシーは折り合いが悪かったが、部屋の壁にかかっていた絵から波が溢れ出して飲み込まれ、三人はナルニアへやってくる。
「朝びらき丸」の副題の方が馴染み深いんですが、時代に合わせて変更したんでしょうね。美しい日本語なんですが確かにちょっとわかりにくい。
大人になってしまったピーターとスーザンはナルニアを卒業し、今度はエドマンドとルーシーが役目をまっとうするまでの物語。とても意地悪で嫌な奴のユースチスが変わるところが見どころ。最後の彼の顔つきが最初とまったく違うので、役者さんはすごい。
無邪気でいかにも少女といった言動のルーシーが、女王=お姉さんとして年下の女の子を導くところがロマンですね。だから最後の別れがぐっとくるんだ。また越えるべき壁としてカスピアンがいるエドマンドもちゃんと成長してくれて、この作品、第一作と比べて地味は地味なんですけどめちゃくちゃ深いのですごく好きなんですよねえ。

ペペンシーの四兄妹がナルニアに戻ったとき、彼らが去ってから1000年以上の時が流れ、世界はテルマール人が支配する時代となっていた。叔父ミラースから奪われたものを取り返すため、王子カスピアンは角笛を吹く。四兄妹はその助けとして呼ばれたのだ。だがナルニアを取り戻すための戦いは困難を極め……。
ちょっとずつ大人になっていく兄たちが、アスランを心から信じなくなりそうになっているのが辛い。ここから先のことを思うともっと辛い。ただこの作品が何を描いているのか知ると、ルーシーの無邪気さも見ていて辛い。
二作目は人と幻想の生き物との戦い、神代と人の世の戦いなど、どうしても避けられない現実との戦いが見どころでしょうか。否応無しに流れる時間が、なあ。兄と姉と下二人は違うっていう最後のシーンが、胸にくる。
ナルニアの人々ももちろん、服装や建築も美しくて見ていて楽しい。

いつものように空き地に集まっていたのび太たちは、出木杉が読んでいた『宝島』の物語について聞いていた。のび太は自分も宝島を発見すると意気込むが、ジャイアンたちに無理だと嘲笑われ、ドラえもんに助けを求める。ひみつ道具で宝のある島を突き止めてしまったのび太は、ドラえもんや友だちとともにその島を目指す。だが途中で海賊に襲われ……。
一夏の冒険譚かと思いきや、想像以上に壮大だった。時空海賊、メカニック、宇宙といった要素込みの、船は船といっても時空や宇宙という広大な海を渡る船(島)の話。ここに親子要素が絡んできて、最後はめちゃくちゃうるうるになって見てしまった。終盤になって、僕なんて何もないと言っていたのび太が投げかける、当たり前でいて善性溢れる台詞の数々が刺さる。
フロックがすごく才能溢れる子で、見ていて楽しい。のび太と対照的なだけに大事なシーンでは格好よさを奪われがちですが、台詞や設定からびしばし天才のオーラを感じる。けれどこれもフィオナという母親から受け継いだものなんだと思うと、シルバーは本当にこれからちゃんと父親として彼の道行を見守っていてほしいと願うばかり。