読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々


「殺し屋が来て、兄さんを殺してしまったんです」—江戸、深川の鉄瓶長屋で八百屋の太助が殺された。その後、評判の良かった差配人が姿を消し、三つの家族も次々と失踪してしまった。いったい、この長屋には何が起きているのか。ぼんくらな同心・平四郎が動き始めた。著者渾身の長編時代ミステリー。(上巻・裏表紙)
短編集かと思ったら、実は短中長編でひとつの物語。
ぼんくらの同心、とあるけれど、そんなぼんくらに感じなかったのは、もっとへたれでニートな「僕僕先生」(仁木英之)の王弁を知っているせいかなあ。
上巻は長屋の面々の事件と楽しさみたいなものなんだけど、「長い影」という話に近付くと暗雲が立ちこめてきた。しかしこの話の清涼剤は、美少年で測量という特技を持つ弓之助の存在だなあ! この子、かわいいぞ……! 疲れた親父と合わさると最強じゃ! 平四郎&弓之助コンビ超良い……! 疲れた親父と賢い美少年いいなあ。この美少年には弱みがあって、そこが子どもらしくてかわいくていい!
しかし話は段々と人間関係の複雑怪奇なところへ落ちていく。なんか色々やるせないなあと思う幕切れ。でも上巻一話の話から見ると、この終わりはこの小説の決められていた形だったんだろうなあと思ったり。人情とか、人間とか、そういうもの。
とても面白かった!
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ある失敗で研究室の空気が険悪になっていた頃、担当教授から奈良の高校に非常勤講師として送り出されることとなったおれ。慣れぬ教師生活が始まったところ、喋る鹿に話しかけられる。”使い番”から”運び番”へ受け渡される神宝とは。これは神経衰弱と言い続けられるおれが作り出した幻覚なのか?
日常の中の非日常が楽しい話だった。ぽかーんと突き抜けるようなすっとぼけ具合がいい。かなり重大な事件が起こっているのに、一歩一歩生きているというか、すごくマイペースな印象がした。「先生」の奮闘話なのか青春なのか判別できないけれど、生きにくい人がもう一度熱血するという感じなのだろうか。人を渾名で呼んだり、ラストの、マドンナへエールを送る辺りは青春だなーと思った。
人物の性格が生き生きしていて気持ちいいなあと思う。人間はもちろん、鹿や鼠も。うっかり鹿、鼠、狐の長い時が経っても抱き続けている思いにときめいた。

ひとはいつまで乙女を自称しても許されるものなのか。そんな疑問を胸に抱きつつも、「なげやり」にふさわしいのは、やっぱり乙女。熱愛する漫画の世界に耽溺し、ツボをはずさぬ映画を観ては、気の合う友と妄想世界を語り合う。気の合わない母との確執も弟とのバトルも、日常の愉楽。どんな悩みも爽快に忘れられる「人生相談」も収録して、威勢よく脱力できる、痛快ヘタレ日常エッセイ。(裏表紙より)
エッセイものをこれまで読んでこなかったけれど、三浦さんのエッセイを読んでから色々手を出してみるようになった。で、これは2004年7月のものを文庫化したもの。
登場人物が本当に面白い。こんな面白い人々が本当にいるのだろうかと思ってしまうくらい。人の日常の面白さを三浦しをんエッセイで知りました。
「俺の胃、粗悪品」のお父さんが面白い。
「ドアガ アイテイ マス」
「ちょっと待てと言ってるだろう! 融通のきかない女は俺は嫌いだ!」
なんかうちの父と微妙にかぶる。ネットでちょっと検索がうまく出ないと「だから世界って優しくないのよね」と芝居がかった口調で言った、我が父に。

文楽観劇のド素人三浦しをんが、いかにして文楽という芸能にのめり込んでいったかの記録
文楽見てみたいわぁと思う一冊だった(見事に釣られている)
しをんさんの、人形さんや三味線さんや太夫さんの観察がまた面白くて。UFOキャッチャーをする三味線さん、大リーグボール三号@巨人の星に例える三味線さんとか、それに対するしをんさんのツッコミがまた面白い(例:魂こめてキャッチしたい)
演目について書かれているのも、初めて文楽を見ようと思った時の参考になりそうです。「仮名手本忠臣蔵」や「女殺油地獄」がいいなあと思った。
「仮名手本〜」はそのまま忠臣蔵がモチーフになった話で、「女殺〜」は近松門左衛門の作。油屋の人妻が、別の油屋の放蕩息子に金を奪われて殺されるという話なのだけれど、この本で書かれる筋がとっても面白い! 放蕩息子は人妻に甘えている節があって、それが何故金を奪って殺すことになったのか、と考えさせられる話。放蕩息子の心理描写が意図的に省かれているらしくて、しをんさんの解説を読んでもとても面白い。
三浦しをんさんは「仏果を得ず」という文楽の世界を書いた小説も書いているので、また読みたいところ。

短編集。「永遠に完成しない二通の手紙」「裏切らないこと」「私たちがしたこと」「夜にあふれるもの」「骨片」「ペーパークラフト」「森を歩く」「優雅な生活」「春太の毎日」「冬の一等星」「永遠に続く手紙の最初の一文」
恋愛にまつわる短編集。全体の雰囲気はいいのだけれど、「風が強く吹いている」の明るさの方が好きだ……。
「永遠に〜」二作は同じ世界観。男→男の話で、ショートショート。軽くBLかあと思っていたら、次の「裏切らないこと」がえらい始まり方をしたので、これは読むの失敗したかなあと思ったけれど、段々面白くなってきた。前園さん夫婦のエピソードに切きゅん(切なさきゅん)した。
「私たちがしたこと」は王道、直球で来て怖かった。一人称を意識しているのか、後半の文章が「〜している」形になっているのが気になった。
「夜にあふれるもの」は女→←女の話。ダーク。でも嫌いじゃない。結構好きかもしれん。
「骨片」は教え子→先生。骨をこっそり持っておく話。嫌いじゃない。好きだが、ラストはちょっと嫌だな……。他人の骨と混ぜるのか……。
「ペーパークラフト」は夫婦のところに夫のかつての友人が現れて、という三角関係もの。ダーク。大人向けな雰囲気が。ドラマや漫画みたいな終わり方。理由は「私、妊娠したかもしれない」の台詞。
「森を歩く」「優雅な生活」はコメディチックな雰囲気が流れていて、にこにこして読んだ。
「春太の毎日」は面白かった! 一番好きかも。拾われた男と拾った女とその恋人(誇張)の話。純愛。オススメ。
「冬の一等星」も好きだ。車中で眠るくせを持った少女が、突如現れた男に車を奪われて、短い誘拐をされる話。
信じる? と文蔵は聞いた。何度聞かれても、私は信じると答えるだろう。それを教えてくれたのは文蔵だ。
(中略)
八歳の冬の日からずっと、強く輝くものが私の胸のうちに宿っている。
「冬の一等星」
何も解決していないけれど、救いがあるというのか。そういう感じがたまらなく好きだ。

京都の地に天狗と狸と人間あり。人間の秘密結社金曜倶楽部によって狸鍋にされた、狸界を治める「偽右衛門」だった総一郎を父に持つ、三男矢三郎は、名高い天狗であった赤玉先生の世話をしぶしぶしたり、人間だった天狗弁天に振り回されたり。そのうち新しい偽右衛門を決めるため、自家下鴨家と叔父の夷川家の争いに巻き込まれることになり。
すっとぼけ具合が楽しい小説だった。
狸がいて天狗がいて、彼ら現代風に暮らしているというのが面白い。狸に言わせると金曜倶楽部の狸鍋と交通事故だけが不慮の死に値するとのことで、平和だなあとぽかぽかした。よく考えたら食うか食われるか(人間に)というどろどろした争いをしているのに、これが狸であるっていう辺りがとぼけていてくすくす笑ってしまう。
海星がとてもかわいいなー! 姿を現さなくて、口が悪くて、でも心優しい。でも優しかったのは後ろめたかったからなのかな……。それだけじゃないといいなあ。

戦争の傷跡を残す大阪で、河の畔に住む少年と廓舟に暮らす姉弟との短い交友を描く太宰治賞受賞作「泥の河」。ようやく雪雲のはれる北陸富山の春から夏への季節の移ろいのなかに、落魄した父の死、友の事故、淡い初恋を描き、螢の大群のあやなす妖光に生死を超えた命の輝きをみる芥川賞受賞作「螢川」。幼年期と思春期のふたつの視線で、二筋の川面に映る人の世の哀歓をとらえた名作。(裏表紙より)
授業で使うのでじゃあ読もうという感じで。
「泥の河」は首から流れる汗を拭いたくなるような夏の暑さがなんとなく残った。銀子も喜一も母親のしていることが分かって、言いようのない暗さを抱えていても、ご飯に腕を突っ込んだり、お化け鯉を見ていたりと素朴な幸せを知っている。それが真夏の「うだるような」の表現のように生々しく重たく澱んでいる感じ。なんか私も怖かった。
「螢川」は竜夫の周囲のどろどろさを感じさせながら、人のつながりが見える気がして好きだった。竜夫が愛されている理由はなんなんだろう。優しくしてくれる人たちに思惑はあるんだろうか。

寛政大に入学する予定の蔵原走は、ただ走ることが息をすることと同じことだった。追いかけてきた四年生の清瀬灰二に、格安の下宿・竹青荘を紹介される。そこには個性豊かな面々が暮らしていた。そして清瀬は、走を最後の一人と呼び、十人全員で箱根駅伝出場を目指すことを宣言する。
すごく面白かった! スポーツ青春もの。
人物が個性豊かで、漫画にしたらまた面白かろうという物語。かと言って軽いわけでもなくて、どっしり構えて楽しく読める。
走と清瀬のコンビが、とてもいい信頼関係で結ばれていていいなあと思った。それからムサと神童。キングの一人だけれどこの関係は、と思っている辺りがすごーく青春だった。走っている最中のそれぞれの思考はもしかしたら人によってはたるいなあと思うかもしれないけれど、私はすごく惹き付けられて読んだ。思考の間にも走りの駆け引きが見えるからかもしれない。
箱根駅伝に限らずすべてのスポーツにあまり興味はなかったけれど、箱根駅伝見ようかなと思いました。