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読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々
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ハプスブルク家 (講談社現代新書)
汎ヨーロッパ的な性格と重要性を持っていたハプスブルク王朝。その歴史を、マクシミリアン一世、カール五世、マリア・テレジア、フランツ・ヨーゼフを大まかな中心に据えながら解説する一冊。
世界史は苦手なんですが、この本おもしろかった……。ひとつの一族の興亡として見ると大雑把だと思うんですが、本人の心情を想像して補足してあったり、ちょっとした逸話が挟まっていたり、周辺諸国の事情があったりと、ちょっとした年代記になっていて読み物として面白かったです。文章が合っていたんだろうなー。
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光の帝国 常野物語 (常野物語) (集英社文庫)
膨大な書物を暗記するちから、遠くの出来事を知るちから、近い将来を見通すちから——「常野」から来たといわれる彼らには、みなそれぞれ不思議な能力があった。穏やかで知的で、権力への志向を持たず、ふつうの人々の中に埋もれてひっそりと暮らす人々。彼らは何のために存在し、どこへ帰っていこうとしているのか? 不思議な優しさと淡い哀しみに満ちた、常野一族をめぐる連作短編集。(裏表紙より)

多分人生で初めて読んだ「大人の小説」です。何かとお守りにするようにして持ち歩くことがあるんですが、今回久しぶりに手に取って読んで、泣いたー……。自分のルーツはここにあるんだ、と感じた再読でした。
連作短編集で、連作ですが、ちゃんと一つの方向に向かってまとめられたお話なので、最後の言葉がすとんと来るあのラスト数ページに、だーっと泣きました。もうこれは反射としか言いようがない気がする……(毎回泣くから)。恩田さんの初期にあたる作品なので、今ではいくつかの作品の続編や関連作が出ています(『エンド・ゲーム』や『蒲公英草紙』)。最近は、恩田さんの世界はもうちょっと硬派な筆致でミステリと不思議な世界の話の方向にいっている気がするので、違いを感じて面白かったです。
特に「引き出し」を持つ春田一族の話はとても好きだなあ! 最初に読んだお話がこれだというのは、本当によかったと思う。全体的に優しい語り口の不思議なお話なのですが、内容紹介にあるようにどことなく淡い哀しみ、切なさのようなものがあって、時間とか別れとかそういったものにひっそりと触れているところがあって私はこの本がすごく好きなんです。あー、もー、好きだなあ!
オススメされた本でした! ありがとうございました!
物語の役割 (ちくまプリマー新書)
私たちは日々受け入れられない現実を、自分の心の形に合うように転換している。誰もが作り出し、必要としている物語を、言葉で表現していくことの喜びを伝える。(裏表紙より)

三つの場所で行った講演を、大きく三つの部に分けて文章化したもの。すべて「物語」について語っています。これまで小川さんのエッセイも読んできたけれど、小川さんの語る「物語について」という話が、もうすっごく好きなんです。
上記の紹介文にあたる「私たちは〜転換している。」というのは内容にあるのですが、このことは私たちが自然的に作っている物語なのだと小川さんは語られます。誰も自分を責めていないのに自分を責めているのも物語であり、そこにあった木が「まだいるからね」と語りかけてくるように感じられたというのも物語。物語という言い方は、私がこうして書くととても軽々しいですが、この『物語の役割』ではとても尊いものであるという書き方がされていて、小川さんの文章がしんとつもってくるようでなんだか泣きたくなりました。
『博士の愛した数式』が生まれるまで、という章があり、小川さんがどうやってあの物語を見つけていったか(と私は思った)というのが書かれています。
「同じ本で育った人は共通の思いを分かち合う」というのは、小川さんがイスラエル版の『博士の愛した数式』を刊行するときのエージェントのメールにあった言葉だそうなんですが、この後の文章のようなことが起きれば、本当にそれは素晴らしいことだと思いました。

 民族も言葉も年代も性別も違う人間が、どこかで出会ったとします。(中略)もしその人が、『ファーブル昆虫記』や『トムは真夜中の庭で』や『アンネの日記』をあげたとしたら、私はたちまちその人と心を通わせることが出来るでしょう。
緑の我が家 Home,Green Home (講談社X文庫―ホワイトハート)
 浩志は、父親の再婚をきっかけに家を出た。
 壁に囲まれた路地を入り、「緑の扉」を開いた浩志を迎えたのは、高校生の一人暮らしには充分な広さの部屋と、不可解な出来事。無言電話、奇妙な落書き、謎の手紙etc.
 そして、「出ていったほうがいいよ」と呟く和泉少年の言葉が意味するものは……。
 嫌がらせ? それとも、死への誘い!?
 ——怖い——。しかし浩志の家は、もはやここ(・・)しかない! 息をもつかせぬ本格ホラー。(カバー折り返しより)

昔『過ぎる十七の春』を読んだときにぞぞっとしたのですが、今回もひいっとなりつつも、その怖さが面白かったです。「絶対に許さないよ」は怖い。
少年の罪、異界との境界にある家。悪意なのか、怪奇なのか。救われるものもありながら、決して動かせない異界がある。日常の中に入り込んだ恐怖をきっちりと描くとこんなお話になるのかと、面白かった。
オーデュボンの祈り (新潮文庫)
コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている“荻島”には、妙な人間ばかりが住んでいた。嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、人語を操り「未来が見える」カカシ。次の日カカシが殺される。無残にもバラバラにされ、頭を持ち去られて。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか?(裏表紙より)

デビュー作だったのか! はー面白かったー。一人称で進むお話なので淡白で薄い主人公なのだけれど、周りが濃い。手に汗握る面白さというよりも、淡々とした世界とシュールな設定の中のものが、どう結びついていくのかが面白い話だった!
閉ざされた島での奇妙な日々。そこに外の世界からもたらすものは何なのか、というのを、カカシ殺人事件から始まった謎の裏でずっと問われ続けてくるのだけれど、この、最後の! ずっと「島に欠けているもの」が何なのかというものが分かったとき、思わずぶわっとこみ上げてしまった。
好きな小説だった!
少女マンガジェンダー表象論―“男装の少女”の造形とアイデンティティ
「リボンの騎士」「ベルサイユのばら」「少女革命ウテナ」の三作を主流に、傍流としていくつかの作品を取り上げながら『男装の少女』について論じる。
読み応えあったー。ジェンターの問題に触れながら、男装の少女の描き方について論じてあって、上記三作の違いが分かって面白かった。特に面白いなと思ったのは、雑誌本体を当たっていることで、作品を論じながら雑誌のお便りコーナーの投稿にも触れながら、男装の少女がどう読者に捉えられていたかというのを考えているところが興味深かった。
チルドレン (講談社文庫)
「俺たちは奇跡を起こすんだ」独自の正義感を持ち、いつも周囲を自分のペースに引き込むが、なぜか憎めない男、陣内。彼を中心にして起こる不思議な事件の数々——。何気ない日常に起こった五つの物語が、一つになったとき、予想もしない奇跡が降り注ぐ。ちょっとファニーで、心温まる連作短編の傑作。(裏表紙より)

伊坂さんは何故かあんまり手に取ったことがなくて。これは借り物(ごめんめっちゃ長いこと……)
無茶苦茶な男・陣内と、それに巻き込まれる人々の視点から描く短編集で、目の見えない青年・永瀬が解くちょっとした謎もすごいですが、そこから更に未来の時間軸になる家裁調査官になった陣内の頃の話も、いい話で面白かった! 少年が絡むとやっぱり爽やかでいいなあ。「チルドレンII」はすごく好きだった。
ゲイ・スタディーズ
1997年の本なので、また違った見地が必要なんだろうけれど、90年代後半のゲイの現状を、ゲイの歴史、欧米での状況を踏まえつつ、「ゲイ・スタディーズ」を論じる。
「ゲイ・スタディーズ」とは、「当事者たるゲイによって担われ、ゲイが自己について考え、よりよく生きることに寄与すること、さらに異性の間の愛情にのみ価値を置き、それを至上のものとして同性愛を差別する社会の意識と構造とを分析することによって、同性愛恐怖・嫌悪と闘っていくのに役立つ学問」(本文より)と定義されている。
色々分からないところも多いのだけれど、「私は同性愛者です」と宣言されなければ異性愛者としてカテゴライズされている、暗黙の了解が存在している社会に、改めて不思議だなあと感じたり。
「同性愛者に理解があるよ」ということは、多くの場合、それは社会に流布している間違った同性愛者観である、ということに、すごく納得されたり。この場合、多くの色んな「理解」に当てはまることだなと思って、すごく興味深かった。
そして花嫁は恋を知る 青の大河をのぼる姫 (コバルト文庫) (そして花嫁は恋を知るシリーズ)
ネプティス王国の新国王、レトムゥールとの結婚が決まったブラーナ皇女のプシュケは、期待に胸をときめかせた。政略結婚とはいえ、以前からレトムゥールに憧れていたからだ。しかし、ネプティスに着いたプシュケに対し、露骨に反発する美少女がいた。はじめは彼女がレトムゥールと結婚するはずだったらしい。もしや、レトムゥールも彼女のことが好きなのでは——不安になるプシュケだったが!?(裏表紙より)

末っ子甘えんぼ気質の姫プシュケと、「黄土の大地を潤す姫」で登場したレトムゥールのお話。
全体的に可愛らしい感じだった、かな?
プシュケがちょっとぬけたところがあるので、陰謀面としては今回は弱い印象でした。ライバルのアーケスメイア姫との対立もありつつなんだけれど、レトムゥールとの恋愛模様はそんなにない。むしろ、自分の身分を自覚して、頑張ると決めるまでのお話だったような気がしました。それから異文化理解についても書かれていました。プシュケは柔軟でいい子だなあ。レトムゥールはまだまだ保護者、という感じですけれど、なんだかかわいらしい夫婦になりそうです。
戦後民主主義と少女漫画 (PHP新書)
一九七〇年代から現在に至るまで、とくに“二十四年組”を中心に花開いた〈少女漫画〉の魅力とその高度な達成——大島弓子と萩尾望都、岡崎京子の作品を主な手がかりに、少女漫画を戦後文化論として読み解く。ヒロインたちが抱える繊細な“怯え”は、大人の論理が強要する安易な成熟の拒否であり、無意識の抵抗だったのではないか。今日に至るまで連綿と受け継がれてきた“震え”や“怯え”の伝達装置としての〈純粋少女〉たちに、高度消費社会の諸矛盾を乗りこえる可能性をみる。巻末に「少女漫画の名作一覧」を収録。(カバー折り返しより)

柔らかな文体と考察で、この方の文章は好きだなーと思いながら読む。なんというか、少女漫画に
対して嫌悪感というか抵抗感があんまりないような見方をされている気がする。
でもタイトルにあるような話はほとんどないです。
序章「七〇年代少女漫画前史」では、七十年代少女漫画論でよく見る「成熟の拒否」が扱われているけれど、この本はその「読者の心」に強く言及するわけではなくて、大島弓子『バナナブレッドのプディング』、萩尾望都『トーマの心臓』、岡崎京子『ヘルタースケルター』を通して、少女漫画の主人公たる「少女」とその作家とは何かを探っていく感じで、ようはすごく私好みの一冊でした。大島弓子から萩尾望都、そして岡崎京子から現代少女漫画へ持っていくのが自然体で、嫌らしくなかったなあ!
飯沢さんは大島弓子さんがお好きなようで、それに多く割かれている印象。終章の「純粋少女と少女漫画のいま」がよかったなあ。好きだー。
巻末の少女漫画の名作一覧は完全に飯沢さんの趣味というかで、最後まで固くない感じが好きでした。
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Author:月子
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