読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々
夢の中に繰り返し現れる、自分とそっくりな少女を探し求めて旅を始めた、女剣士シィン。彼女が訪れた街には『海の獣』の伝説が伝わり、そしてその地を守るサラデーニ家には、たった一人の姫がいた。
樹川さん得意の鈍感者は、この話では主人公シィン。美少女なのにまったく気付いていない。しかも剣の腕はすばらしい。そしてうわばみ。
神々がまだいて、幻獣が存在してという世界は大好きだ。しかも古い契約に縛られた獣が転生してずっと娘を守る、という設定はかなりいい。
シィンが自分の出自を探りながら、もう一人の自分であるウィーアを追い求める辺りは、無鉄砲なところが分かる気がする。それほどシィンは自分自身の正体を知りたいと心の奥底で思ってたということだと。
ヒーローであるはずのラダストールがとてもオペラシリーズのソラに見えてくる。もうちょっと人っぽいけれど。つかみ所がないというか、全部を知りながら人間の形をしている辺りが、とても。
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「物語が、始まる」が一番好きだった。〈雛型〉と呼ばれる人間もどきを拾ったゆき子。それに三郎と名付け、日々を過ごす。恋人もいて結婚を申し込まれた、けれど三郎に惹かれている。
三郎が老いていくところは切なかった。どちらも未熟、という感じがあって、それが可愛くて切ない。
「トカゲ」は気持ち悪くてどろどろしていた。宗教っぽかった。妖しい(あえてこの字)感じ。好きじゃない。
「婆」はよく分からなかった。穴に入って出て来るっていうのは、胎内に入って生まれ出てくるって意味なのかな。そうなると世界が新しくなったような気がするのも頷ける。でもたくさんの婆が降ってくる辺りが意味が分からない。
「墓を探す」はちょっと面白かった。墓を探しながら、自分も墓へ向かっている。人が憑くっていうのが妙で、でも物語の中で一番呼吸していてテンポを作っていた。
それから解説の穂村弘さんが面白かった。
吉田浩美さんの語りと、その祖父傳次郎氏の日記によって進む。アゾットにおける日記は傳次郎氏の空想旅行の記で、吉田さんはそれが書かれた意図を探ろうとする。書き下された日記本文と日記を読み解く吉田さん、二つの視点を行き来する物語。物語に関係するクリップアートがあって、作り込まれていて面白い。
旅はとても奇妙で幻想的。21の地区に別れているアゾット。手袋をする手によってその旅の目的を意味し、雲母の結晶は物語を凝結し、廃墟の街の地区があり、師匠を持たぬ職人の街の地区があり、カードの意味を読み解く哲学サーカスなるものがあったり。
「されど、書けば書くほど、世界がどこまでもふたつに分かれていくのを、いつしか思い知らされました」
「そのふたつとはすなわち」
「記憶されているものと、忘却されたものです」
「この世にはな、結局、〈解釈〉しか存在しておらんのじゃ。この世には人の数だけ〈解釈〉がある。そして、それらがときに結び合ったり、ときに争ったりしておる。世界というものはな、そうして〈解釈の戦い〉で成立しておるんじゃ」
そんな言葉がすごく良い。
傳次郎氏が聞いた「暦」の言葉、吉田さんが辿り着いたアゾットへの行き方の意味に、感動。He Who? Me とか、言葉遊び!
全部空想であるはずなのに、現実があるような気がしました。ぴったりこのこの世に沿っているような世界が、この本にはある。
壮大な嘘、というより、現実に確実に存在する小さな幻想、なんてポエムするくらいに好き。
2007年11月30日発行。この辺りのテレビ番組を見ながら、考えたこと、感じたことを書き綴ったエッセイ集。
テレビを見ながらこうだよねーと喋っている感じだった。
私は人に対してあれこれ言うのが嫌いなので時々そんなこと言わないでと思ったけれど、テレビ番組が分かる人ならきっと面白い。ダウンタウンDXとか、ウルルンとか、踊る!さんま御殿とか、リンカーン、その時放映していたドラマ。ただ良いことばっかり言っているわけじゃないので注意が必要。
ページごとにいっぱい散っている似顔絵が面白い。そううまいとは言い切れないのに、すごく似ている。
『「新日曜美術館」姜尚中とデューラー』より姜さんの言葉。
「(略)やっぱり世界に対する信頼を失わなかったと思うんです。僕を支えているものは信仰とは違う。人から愛されたっていうことでしょうかね。人から愛されていたということがあるとどこかで自分を肯定できるんですね。自分を肯定できると世界も肯定できる。(略)」
なんかこの言葉が好きだったんだー。
日記本はあんまり読まないので、新鮮。日常のあるあるがあって面白い!
バレンタインデーがあのように血を見る女祭りだとは知らなかった。
「ヘフティのチョコレート 3000円」
何故かツボにはまった。続けざまに押し退けられた所為で何かがキレかけて香水女を突き飛ばし「この3000円のください!」と叫ぶ様が浮かんで吹いた。
「空白 330円」は待ち合わせに関しての話。20分前に来ないと安心しないらしい角田さん。でも待たせても待っても気にしない人種というものはいるらしいという。
思い出したのは、小学校の時ある友達と「1時に待ち合わせな」と言って、10分前に行ったのに1時を過ぎてもその子が来ず、遊びに行く友達の家に先に行こうと行ってみると、待ち合わせしていた子がすでにそこにいたという思い出。それから次にその子と待ち合わせした時、20分前に行ったのにやっぱり来ず、やっぱり友達の家に行ってみるとその子がいて、という思い出。あの子は一体何がしたかったのか聞けず終いだった。
良いラストだった……本当に。
半分から終わりへ書けて走り始めるラストの盛り上がりは異常。それぞれに世界の終わりへと立ち向かう様、ソラが賭けをしようという辺りは切なくなってきた。ソラが微笑んでいるのが分かって、泣けた。
それでもそれで終わらないのがすごいところ。西方貴族が出てきた辺りはまだあるの!? とちょっとびっくりした。ウゴルもまだ出て来たし、終わるの!? 終わるの!? みたいな緊張があって面白かった。
バシュラールとシュナルも落ち着いて、普通の愛の言葉で終わらないところがお似合いだなという感じ。
本当に良いラストだった。いつかそれが伝説になる、という、ずっと世界が続いて行くであろう希望がきらきらと輝いていて、世界を真実愛している誰かがこの世にいるということは、本当に代え難い光なんだと思った。
密かに主要が揃っている表紙にほろり。
良い本に巡り会えた。小冊子欲しかったよー!!
抱きしめられていて、そうしていると楽? と聞いたら楽だと答えられたから、それなら嫌じゃない。そういうミリアンの優しさが可愛い可愛い可愛い! 「…………殺していい?」ってそのままだと病んでるっぽいけど、ここまで読んでいるとミリアンは純粋な感情から言ってるんだよな。続く台詞がたどたどしくて可愛い。
バシュラールとラングレーの関係性がかっこいいなあ! 補ってやればいい、と思えるバシュラールの器の大きさ。
宮殿に恐ろしいものがあるっていうこの状況にひどく悶える。
綺麗なところへ行く、というリュリュは若い。眩しい。きゃーってなるほど青い。でもそれが良い。
シュナルー!! なんていい女だ。ごろごろする。「ありがとう、愛しているわ。——さようなら」っていい女の台詞過ぎる。
ソラ、と呼ぶと去り行こうとするソラは振り向いた。この無垢で何もないと笑っている子どものような詩人が人間の最初であるとカナギは知ったわけで。
誰かソラを助けて、という終わり方。ラストは目前。