読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々
![ジョー・ブラックをよろしく [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51jUDFhxGHL._SL160_.jpg)
大会社の社長ビルは、六十代を過ぎてもなお精力的に仕事をこなしているが、時折訪れる変調に死を感じていた。ある日、最愛の娘スーザンが自身の片腕であるドリューと付き合っていることについて話す。スーザンの素っ気なさに、恋とはそういうものではないと説いたビル。そのスーザンは、仕事場近くの喫茶店で、魅力的な男性と出会う。しかし、彼が再び現れたのは、ビルの前。自身はこの身体を奪った死神だ、というのだった。そんなことを知らないスーザンは、ジョー・ブラックと偽名を使う彼に惹かれていき……。
人間界に興味を抱いた死神が、老年の社長を振り回しつつ、生きることの楽しみを知ったり、恋をしたりする。ジョーのすっとぼけた振る舞いが、たいへんかわいいです。
人間じゃないものが、だんだん人間らしくなってくるのが、なんてにやにやするんだろうと。さらにいいなと思うのは、ユーモアを見せるところなんですよ! ジョークやユーモアは、人間らしさの最大の要素かな、と思います。
スーザンとの恋は、ツッコミたいところがあったものの、あったかくて、切なくて、寂しい、いい恋でしたね。まさに花火だった。
橋の向こうへ行ってしまう、という演出は反則です。こみ上げた……。
アンソニー・ホプキンスとブラッド・ピットの組み合わせが好きすぎてやばいです。老爺と青年! しかし青年の方がタメ口!
面白かったです。オススメ、ありがとうございました!
PR
![コードギアス 亡国のアキト 第1章 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51cimpYvyTL._SL160_.jpg)
![コードギアス 亡国のアキト 第2章 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51LZEWcfM-L._SL160_.jpg)
ギアス本編はほとんど見ていない曖昧な知識のまま、どうして映画を見るのかと言われると、主題歌が好きだからです。
主人公となるレイラとアキトが、正統派な「姫と騎士」(正確にはそれぞれ上官と部下ですが)で、ちょっとびっくり。冒頭、レイラが結構冷静に推し進めるのでこれは普通の女の子じゃないのかと思ったら、やっぱり甘ちゃんな理想主義の女の子でしたね。これだからアキトみたいな影のある青年に落とされるんだよ……!(かわいい女の子の見方)
第二章から本編主人公側と絡む気配ですね。見てると、レイラとアキトは微妙にルルーシュやスザクとすれ違う(キャラクター性とか立ち位置とか)ところにいるなあ、という印象があります。絶対一緒になってどうこうって、ほんの一瞬あれば奇跡みたいな感じがする、相容れなさがあるように思う。これで第3章、第4章で一緒に行動してたら恥ずかしいんですけど!
レイラみたいな子はヒロインとして好きなので、彼女が大きく成長するところが見たいです。頭はいいかもしれないけれど、今は立ち回りが上手くないし、もうちょっと大人びた冷静な判断力と冷徹さや容赦のなさを持って、すべての人を助けようとは思わないでほしい。自分のできることを完遂する、という人になってほしいな。
![劇場版戦国BASARA-The Last Party- [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/514KcdSDdZL._SL160_.jpg)
絆の力で日の本をひとつにしたい。家康の呼びかけは、各国の武将たちに受け入れられず、また同時期、亡き秀吉の仇を討とうと三成が襲撃を繰り返していた。幸村は家康に賛同し、政宗は三成との決着をつけるため、家康の呼びかけに応じて関ヶ原の地へ向かう。しかし、そのすべての裏側では、死んだはずの者たちが暗躍しており……。
突っ込んだら負け! と必死に言い聞かせながら見ました。関ヶ原の風景は、これゲームのマップかな? というおかしいものが一つ鎮座ましましており、突っ込んだら負け! と本当に強く思いました。
様式美な殴り合いや、ここでやりあうなや! という戦いはさておき、私は、たまたま通りかかった父に「あれが家康。あれが忠勝(ホンダム)」と指差した時がこの映画のハイライトでした。
戦闘シーンはさすが劇場版で、よく動くし派手だし、なんか終末の塔みたいなものが出現したときは「ゲームだ……(ゲームが原作です)」と思いました。光秀がアヒャヒャするのかと思ったらお市にあっさりやられてしまったので、ああ……(すべてを理解した頷き)で受け入れました。第六天魔王はやっぱり魔王だった。
ゲームは微妙にかじっただけなので、どの辺りが脚色なのかもうだんだん分からなくなってきたんですけれども、アニバサが好きな人のための映画だなと思いました。最後の足軽ダンスが見られて満足!
大阪市住吉区、大空小学校。この学校がめざすのは「不登校ゼロ」。特別支援教育が必要な発達障害の子どもたちは、みんなと同じ教室で学ぶ。教職員、地域の人々、保護者が協力しあう、開かれた学校だ。前の学校では二時間しか学校にいることができなかった子、問題行動が地域の噂になってあの子がいるならあの学校には行きたくないと言われる子、暴力や暴言が止まらない子……。そういった子どもたちの、一年間の記録。
ものすごい映画でした。こんな開かれた学校があるのか! と。自分が知っている、統制がとれた、秩序を重んじる小学校とは違った。
この大空小学校では、一人一人、個人と教職員が向き合い理解しながら、そのことを他の子どもたちにも分かるよう指導していく。「あの子は普通と違うから……」ということをそのままにするのではなく、「じゃあ、一緒に学ぶためには?」という問いかけを常に先生たちが生徒たちに投げかけ、また子どもたちを信頼して任せたりもする。
この指導体系を作り上げた先生方がすごい。問題ひとつ、新任の先生がつまずいたとしても、助けを求めれば助けてくれる体制になってるんでしょう。教職員全員が、全校生徒のことを知っているといっても過言ではないだろうなあ。
先生方、すごく大変ですけれど、笑いながらも表情は真剣で、そして楽しい時は全力で楽しいというのを表現しているように見えました。だから子どもたちも笑うし、叱られれば反省するし、その言葉に耳を傾ける。
信頼ってどういうことなんだろう。居場所ってどういうこと。理解するって。個性って。「みんなの学校」ってなに? どの場面、どのシーンにも、いろいろなものが映っていて、自分の視界が足りない! と思うくらいの情報量。どこも見るべきところ。そういう作品でした。すごかった。
ものすごい映画でした。こんな開かれた学校があるのか! と。自分が知っている、統制がとれた、秩序を重んじる小学校とは違った。
この大空小学校では、一人一人、個人と教職員が向き合い理解しながら、そのことを他の子どもたちにも分かるよう指導していく。「あの子は普通と違うから……」ということをそのままにするのではなく、「じゃあ、一緒に学ぶためには?」という問いかけを常に先生たちが生徒たちに投げかけ、また子どもたちを信頼して任せたりもする。
この指導体系を作り上げた先生方がすごい。問題ひとつ、新任の先生がつまずいたとしても、助けを求めれば助けてくれる体制になってるんでしょう。教職員全員が、全校生徒のことを知っているといっても過言ではないだろうなあ。
先生方、すごく大変ですけれど、笑いながらも表情は真剣で、そして楽しい時は全力で楽しいというのを表現しているように見えました。だから子どもたちも笑うし、叱られれば反省するし、その言葉に耳を傾ける。
信頼ってどういうことなんだろう。居場所ってどういうこと。理解するって。個性って。「みんなの学校」ってなに? どの場面、どのシーンにも、いろいろなものが映っていて、自分の視界が足りない! と思うくらいの情報量。どこも見るべきところ。そういう作品でした。すごかった。
前田黎生さん、95歳。9歳の時に父が失踪。のちに母が再婚。けれど家を飛び出して、准看護師になった。その学習の中で出会った一人の同窓生をきっかけに、共産党に関係する人たちが行っていた「無産者診療所」で活動するように。しかし折しも戦争が色濃くなってきた時代、黎生さんは特高によって留置されてしまう……。
映画館でみました。
保健婦になるまでがすでに波乱万丈。戦争が始まって、終わり、保健というものも大きく変わっていく。女性の立場も変化した。そうして、95歳になった前田黎生さんという人は、日本の保健婦の歴史をすべて抱いてきた人になっている。
見ていて不思議なのは、語る言葉も、意識も、すべて、この人はすべきことをきちんと持ちながらきちんと生きてきた人なんだ、とわかること。それは私自身には多分ないもので、生きるべくして生きる、という老齢の方の姿が、なんとも羨ましい。強いんです。言葉も姿も。見ていてわかる。
保健婦っていうのは、本当に地域に根ざしたところからきたものなのだなあと思ったので、その辺りのことをもっと知ってみたいと思いました。恥ずかしながら保健所の知識がほとんどないに等しいので……。
映画館でみました。
保健婦になるまでがすでに波乱万丈。戦争が始まって、終わり、保健というものも大きく変わっていく。女性の立場も変化した。そうして、95歳になった前田黎生さんという人は、日本の保健婦の歴史をすべて抱いてきた人になっている。
見ていて不思議なのは、語る言葉も、意識も、すべて、この人はすべきことをきちんと持ちながらきちんと生きてきた人なんだ、とわかること。それは私自身には多分ないもので、生きるべくして生きる、という老齢の方の姿が、なんとも羨ましい。強いんです。言葉も姿も。見ていてわかる。
保健婦っていうのは、本当に地域に根ざしたところからきたものなのだなあと思ったので、その辺りのことをもっと知ってみたいと思いました。恥ずかしながら保健所の知識がほとんどないに等しいので……。
![わたしを離さないで [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51-I8siTz2L._SL160_.jpg)
介護人のキャシー・Hは、幾人かの提供者と関わってきた。その中で思い出されるのは、幼い頃育った寄宿舎ヘールシャムでの日々、そしてコテージでのこと。複雑に絡み合った絆で結ばれた、トミー、そしてルースのこと。褪せない、あの日々のこと。
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の映像化作品。映画は、テープというよりも写真のようでした。いくつかの断片をつなぎ合わせて回想している感じ。原作にある、擦り切れるほど繰り返したという感じはしなかった。
話の裏というか、事情は、本よりもあっさり簡単にまとまっていて、だから象徴的なシーンが結構削ぎ落とされていていました。キャシーが赤ん坊に見立てたものを揺する光景を見てはっと立ち尽くしていたマダム、とか、ルーシー先生のエピソードとか、最終的にマダムの家に行ったときの空虚なほどの絶望感、とか。もっと寒々しくて薄暗い世界を想像していたのに、思ったよりも明るかったのは、キャシーの記憶だからかなあ。
より三人の絆(というか、感情のすれ違い)が描かれる一方で、提供者やその人権を守ろうとした社会的活動のことが薄くなっていて、それもちょっと思ってもみなかったところでした。
『わたしを離さないで』を簡単に理解しようとするといい映画なのかもしれないけれど、原作の淡々とした語り口やどうしようもなく、生きていくしかない感じが好きだった私としては、少し簡単すぎたように思える映画でした。
あるところに、エラという名の少女がいました。外国に仕事に行くお父さんと、優しいお母さん、使用人たちに囲まれて、幸せに暮らしていました。けれどあるとき、お母さんが病気で亡くなってしまいます。お母さんはエラに「優しさと勇気を持つのよ」と教えてくれました。——そして、父が再婚し、継母と二人の姉を迎えたエラは……。
シンデレラの実写版。久しぶりに映画に行ってきましたので、たいへん好みだったので感想を書きます。私が見たのは字幕版。ネタバレです。
シンデレラの実写版。久しぶりに映画に行ってきましたので、たいへん好みだったので感想を書きます。私が見たのは字幕版。ネタバレです。
![her/世界でひとつの彼女 ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産/2枚組) [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51CxVHh3LYL._SL160_.jpg)
それは、今よりもほんの少しテクノロジーが進化した現代社会。声による指示によってOSが操作でき、各個人がそれぞれに応答できるシステムを持っている、そんなところで、代筆ライターをしているセオドアは、ある日人工知能型のOS・サマンサと出会う。肉体を持たず、学習する特別なOSであるというサマンサに、セオドアは恋をするが……。
オススメされて観ました。すごく好みの作品でした。結末も、悲しくて、でも……という。
情報型端末がイヤホンと折りたたみ型モニターに変わっていて、電車の中に乗っているとみんなOSに向かって、まるで独り言をいうように声で指示をしている、そういう社会になっている。パソコンも、声で指示が出せて、「削除」と言うと削除され、「印刷」と言うと印刷される。そういう、決して派手ではないんだけど確実に進化している文明がある世界は、すごく身近なものに見える。
OSとの恋、というと異種族恋愛が好物な自分としてはすごくわくわくだったんですが、ファンタジー的な要素は全然なくて、本当にごく普通の男女の恋、でした。相手と一緒にいるのが楽しくて、夜も抱き合って(声でだけですが)、相手との関係に疑問を持って。人工知能との恋は、この時点ではほとんど理解がないし、おかしいことかもしれないけれど、それがごく当たり前になっていくかもしれない(=価値観が変わるかもしれない)という希望が見えていたように思います。
ネタバレを書くと、結局彼女は去ってしまうわけですが、どうしてここで去ってしまわなければならなかったのだろう、と考えると、ひとつは相手と自分のレベル(考え方、価値観、持っている世界)が異なってしまったこと。ふたつめは、二人ともそれを乗り越えるだけの力がなかったこと。みっつめは、心がすでに離れていたこと、というのが挙げられるかな、と思うんですが、私は、なんとなくサマンサは天啓だったような気がしてならない。
天啓って書き方が正しいのか分からないんですが、霊感の方が近いのかな。そういうものって、一人の人間に何かをさせると、去っていってしまうものだと私は思っていて。最後、とても抽象的な、現世と電子のはざまに仲間たちとともに消えていったサマンサは、そういうある種霊的なものだったのかもしれない、と思いました。セオドアに人生とはみたいなものを教えて、消えていった。
それから、名前。サマンサという名前には諸説あって、どうやら古い言葉で「聞く者」という意味があるようですから、名づけ辞典を確認して命名したといった彼女がその意味を知らないわけがないし、自身にその役割は必要ない、もしくはもうその役割にはない(OSとして個人がある、発信するものである)と感じるようになったのなら、去っていったことに納得がいくように思いました。
いや、すごく余韻がある映画でした。ハッピーってわけじゃないんですけど、細かなところに気が利いていてうまいというか。普通じゃないカップルなのに、すごく普通の男女だったりとか。面白かった。
![劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(通常版) [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/5141x91g9qL._SL160_.jpg)
魔法少女、それは、人々の悪夢に巣食うナイトメアと呼ばれるものを狩る存在。見滝原市を守る四人の魔法少女たちのもとに、暁美ほむらが転校生としてやってくる。五人で協力しあって戦う中、ほむらは次第に違和感を覚えはじめる。魔法少女とは、ナイトメアと戦うものだったろうか、と。
円環の理によって宇宙が書き換えられたはずなのに……? というところから始まる新編。五人が全員揃っていて、仲良く協力して、本当に夢のようにしあわせな毎日なのに、嫌な予感しかしないんですよ……。
ほむらが完全に記憶を取り戻してからは、すごく展開のスピードで、マミさんと戦ってしまうシーンとか、円環の理の『鞄持ち』とか、魔女化していく自分を受け入れるところとか、みんなの共闘とか、すごく熱かった! 熱かったけど、どうしてそこで終わらなかった! というラストからの急展開。死んだ目をしたほむらを見るのがこわいです……。
映像美として(面白さとして)頑張ってるなあ、というシーンはいくつもあって、私は、OPのみんなが踊ってるシーンが好きです。ほむら一人だけ絶望して動かないのに、四人が楽しげにくるくる踊ってるっていう、あれが……胸にくるんですよ……。『私だけが世界にたったひとりぼっち』っていうのを体現してる気がして。
![オール・ユー・ニード・イズ・キル ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産/2枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/517zjMUwh9L._SL160_.jpg)
「ギタイ」と呼ばれる異星人からの侵略を受けている近未来の地球。統合防衛軍の報道官だったウィリアム・ケイジ少佐は、自身の保身によって失敗し、前線へと送られる。仲間の協力も得られず、訓練すらまともに受けていないケイジは命を落とすが、その直前、青いギタイを倒すことができた。そしてケイジが目覚めると、それは、自分が死ぬ前の日。ケイジはタイムループしていたのだった。
原作は読了済。絶望的な異星人との戦いにおいて、タイムループに巻き込まれた青年の戦いを描くSF作品。とってもハリウッドな味付けで、これはこれで面白い改変だったと思うんですが、やっぱりさ、ループものの悲哀を味わって終わりたかったぜ……!
キャラクターの魅力という点ではすごく入り込みやすかったです。保身のために戦場を避けていた男が、左遷された挙句命を落とす。もうぐっだぐだな男なんですが、ループに戸惑い、理解し、リタという救いを見出し、協力し合いながら失敗にへこたれたり絶望したり、最後には仲間を得て、勝利をつかむ。人間的成長がすごくわかりやすい。わかりやすいストーリーになっているのはいいけれども、私は、原作の気が狂いそうなループと失敗の数々と、どうしようもないところに行き着いてしまった絶望と、喪失を抱えながら生きていこうとするラストがもうすっごく好きだったので、ちょっと残念な気持ちではありました。
これはこれで面白かったですけどね!