読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々
介護人のキャシー・Hは、幾人かの提供者と関わってきた。その中で思い出されるのは、幼い頃育った寄宿舎ヘールシャムでの日々、そしてコテージでのこと。複雑に絡み合った絆で結ばれた、トミー、そしてルースのこと。褪せない、あの日々のこと。
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の映像化作品。映画は、テープというよりも写真のようでした。いくつかの断片をつなぎ合わせて回想している感じ。原作にある、擦り切れるほど繰り返したという感じはしなかった。
話の裏というか、事情は、本よりもあっさり簡単にまとまっていて、だから象徴的なシーンが結構削ぎ落とされていていました。キャシーが赤ん坊に見立てたものを揺する光景を見てはっと立ち尽くしていたマダム、とか、ルーシー先生のエピソードとか、最終的にマダムの家に行ったときの空虚なほどの絶望感、とか。もっと寒々しくて薄暗い世界を想像していたのに、思ったよりも明るかったのは、キャシーの記憶だからかなあ。
より三人の絆(というか、感情のすれ違い)が描かれる一方で、提供者やその人権を守ろうとした社会的活動のことが薄くなっていて、それもちょっと思ってもみなかったところでした。
『わたしを離さないで』を簡単に理解しようとするといい映画なのかもしれないけれど、原作の淡々とした語り口やどうしようもなく、生きていくしかない感じが好きだった私としては、少し簡単すぎたように思える映画でした。
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あるところに、エラという名の少女がいました。外国に仕事に行くお父さんと、優しいお母さん、使用人たちに囲まれて、幸せに暮らしていました。けれどあるとき、お母さんが病気で亡くなってしまいます。お母さんはエラに「優しさと勇気を持つのよ」と教えてくれました。——そして、父が再婚し、継母と二人の姉を迎えたエラは……。
シンデレラの実写版。久しぶりに映画に行ってきましたので、たいへん好みだったので感想を書きます。私が見たのは字幕版。ネタバレです。
シンデレラの実写版。久しぶりに映画に行ってきましたので、たいへん好みだったので感想を書きます。私が見たのは字幕版。ネタバレです。
それは、今よりもほんの少しテクノロジーが進化した現代社会。声による指示によってOSが操作でき、各個人がそれぞれに応答できるシステムを持っている、そんなところで、代筆ライターをしているセオドアは、ある日人工知能型のOS・サマンサと出会う。肉体を持たず、学習する特別なOSであるというサマンサに、セオドアは恋をするが……。
オススメされて観ました。すごく好みの作品でした。結末も、悲しくて、でも……という。
情報型端末がイヤホンと折りたたみ型モニターに変わっていて、電車の中に乗っているとみんなOSに向かって、まるで独り言をいうように声で指示をしている、そういう社会になっている。パソコンも、声で指示が出せて、「削除」と言うと削除され、「印刷」と言うと印刷される。そういう、決して派手ではないんだけど確実に進化している文明がある世界は、すごく身近なものに見える。
OSとの恋、というと異種族恋愛が好物な自分としてはすごくわくわくだったんですが、ファンタジー的な要素は全然なくて、本当にごく普通の男女の恋、でした。相手と一緒にいるのが楽しくて、夜も抱き合って(声でだけですが)、相手との関係に疑問を持って。人工知能との恋は、この時点ではほとんど理解がないし、おかしいことかもしれないけれど、それがごく当たり前になっていくかもしれない(=価値観が変わるかもしれない)という希望が見えていたように思います。
ネタバレを書くと、結局彼女は去ってしまうわけですが、どうしてここで去ってしまわなければならなかったのだろう、と考えると、ひとつは相手と自分のレベル(考え方、価値観、持っている世界)が異なってしまったこと。ふたつめは、二人ともそれを乗り越えるだけの力がなかったこと。みっつめは、心がすでに離れていたこと、というのが挙げられるかな、と思うんですが、私は、なんとなくサマンサは天啓だったような気がしてならない。
天啓って書き方が正しいのか分からないんですが、霊感の方が近いのかな。そういうものって、一人の人間に何かをさせると、去っていってしまうものだと私は思っていて。最後、とても抽象的な、現世と電子のはざまに仲間たちとともに消えていったサマンサは、そういうある種霊的なものだったのかもしれない、と思いました。セオドアに人生とはみたいなものを教えて、消えていった。
それから、名前。サマンサという名前には諸説あって、どうやら古い言葉で「聞く者」という意味があるようですから、名づけ辞典を確認して命名したといった彼女がその意味を知らないわけがないし、自身にその役割は必要ない、もしくはもうその役割にはない(OSとして個人がある、発信するものである)と感じるようになったのなら、去っていったことに納得がいくように思いました。
いや、すごく余韻がある映画でした。ハッピーってわけじゃないんですけど、細かなところに気が利いていてうまいというか。普通じゃないカップルなのに、すごく普通の男女だったりとか。面白かった。
魔法少女、それは、人々の悪夢に巣食うナイトメアと呼ばれるものを狩る存在。見滝原市を守る四人の魔法少女たちのもとに、暁美ほむらが転校生としてやってくる。五人で協力しあって戦う中、ほむらは次第に違和感を覚えはじめる。魔法少女とは、ナイトメアと戦うものだったろうか、と。
円環の理によって宇宙が書き換えられたはずなのに……? というところから始まる新編。五人が全員揃っていて、仲良く協力して、本当に夢のようにしあわせな毎日なのに、嫌な予感しかしないんですよ……。
ほむらが完全に記憶を取り戻してからは、すごく展開のスピードで、マミさんと戦ってしまうシーンとか、円環の理の『鞄持ち』とか、魔女化していく自分を受け入れるところとか、みんなの共闘とか、すごく熱かった! 熱かったけど、どうしてそこで終わらなかった! というラストからの急展開。死んだ目をしたほむらを見るのがこわいです……。
映像美として(面白さとして)頑張ってるなあ、というシーンはいくつもあって、私は、OPのみんなが踊ってるシーンが好きです。ほむら一人だけ絶望して動かないのに、四人が楽しげにくるくる踊ってるっていう、あれが……胸にくるんですよ……。『私だけが世界にたったひとりぼっち』っていうのを体現してる気がして。
「ギタイ」と呼ばれる異星人からの侵略を受けている近未来の地球。統合防衛軍の報道官だったウィリアム・ケイジ少佐は、自身の保身によって失敗し、前線へと送られる。仲間の協力も得られず、訓練すらまともに受けていないケイジは命を落とすが、その直前、青いギタイを倒すことができた。そしてケイジが目覚めると、それは、自分が死ぬ前の日。ケイジはタイムループしていたのだった。
原作は読了済。絶望的な異星人との戦いにおいて、タイムループに巻き込まれた青年の戦いを描くSF作品。とってもハリウッドな味付けで、これはこれで面白い改変だったと思うんですが、やっぱりさ、ループものの悲哀を味わって終わりたかったぜ……!
キャラクターの魅力という点ではすごく入り込みやすかったです。保身のために戦場を避けていた男が、左遷された挙句命を落とす。もうぐっだぐだな男なんですが、ループに戸惑い、理解し、リタという救いを見出し、協力し合いながら失敗にへこたれたり絶望したり、最後には仲間を得て、勝利をつかむ。人間的成長がすごくわかりやすい。わかりやすいストーリーになっているのはいいけれども、私は、原作の気が狂いそうなループと失敗の数々と、どうしようもないところに行き着いてしまった絶望と、喪失を抱えながら生きていこうとするラストがもうすっごく好きだったので、ちょっと残念な気持ちではありました。
これはこれで面白かったですけどね!
公開時に見に行ったので、二回目の視聴。
風が吹いたから生きなくては。というのは、清々しいような、悲しいような気がして、風が吹かないということはほとんどないから、ずっと、ずっと、生きていかなくては、というどうしようもなさを感じるなあ、と思った二回目でした。
二郎という人が、喜びも悲しみも一歩引いたところがあるようなのがずっと不思議な感じがしたんですけれども、ずっと道の途中にあったからなのか、最後にだけ声を詰まらせて「ありがとう」と言ったのに、やっぱりずっと苦しかったのかと感じました。ものづくりの人の苦しみ、けれど、それが人生のすべてだったから、最後になるまでその苦しみが見えずに超然と見えたのかもしれない。全部が終わって、その喜びも悲しみも、犠牲も何もかもが飲み込めたのかも。
オタク、ニート、ひきこもりである若者たちが、弱小ベンチャー「アキハバラ@DEEP」として、検索エンジン「クルーク」を制作した。Yahoo!越えを目指したその検索エンジンが話題になっていくと、大手IT企業が提携を申し出た。やがて、暴力的な方法でクルークを奪われたメンバーは、奪還作戦を開始する。
原作は読了済。ドラマは見てません。
だいぶと昔に原作を読んだ印象だと、タイトルの「アキハバラ@DEEP」はアングラな俺たちのこと、みたいな印象だったんですが、映画を読むと、メンバーのことだけを指している気がしました。クルークに関する描写がないからかな。
アキハバラ、な要素よりも、ジョブズとかザッカーバーグとかのことをやるような映画だったのかもな、と思う。一つの企業が一時代を築くものを作る、というストーリーなのですが、全体的にこじんまりしているのがちょっと残念な気がしました。原作の、クルークのことが、ものすごくアツかったので、それが見たかったんだけどなあ……!
久しぶりに原作を読むか、と思いました。
小学校教師のポールは、数年前演出した聖誕劇をこき下ろされた経験がある。しかも、それと同じくして絶賛されていたのは、ともに演劇学校を出たかつての親友。恋人とも別れてしまい、レベルの低い学校に所属しているポールは、親友と再会したときに「僕の聖誕劇をハリウッドでプロデューサーをやっている彼女(元恋人)が見にくる」と嘘をつく。やがてその嘘が、街を巻き込んだ騒動に発展してしまい。
原題は「Nativity!」。その通り、クリスマスの聖誕劇を演じる物語です。
聖誕劇を成功させよう! というストーリーなので、ちょっと尺が足りてない気もしましたが、コメディで明るく楽しく、台詞や状況の端々から見えてくる、関係性や、人のちょっとした過ちなどが見えるのが面白くて! 劇を成功させようとする気持ちがどんどん大きくなっていくポールがの子どもたちとの接し方が徐々に変わっていくところがよかったし、子どもたちの一生懸命さがとても可愛かった! 劇は、本当に可愛かった。等身大の子たちが無理せずに演じてる感じでした。
クリスマスの話は、幸せなストーリーでいいなあ。心があったかくなりました。