読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々

ブラーナ帝国の皇妃イリアティーヌは、結婚したばかりの相手シリウスに対し、打ち明けられない悩みを抱えていた。奴隷だった彼が皇帝になるまで、どんな過去があったのか。愛しているからこそ気になるイリアティーヌだったが、昔の彼を知る女性が現れて……?一方、新興宗教であるルシアン教信者は謎の疫病に罹らないという噂が流れる。混乱の中、新たな時代の幕開けが迫っていた——!(裏表紙より)
「黄金の都を興す姫」の続き。ブラーナ帝国でおそらく有名であろう皇帝シリウスと皇妃イリアティーヌの物語。なぜ、ブラーナ帝国はルシアン教を国教としたのかが語られる。
非常に息苦しい巻でした。嫁恋シリーズは、歴史的な下地がもともとしっかりしている中で、少女小説っぽい主人公たちが動く話だったのですが、この巻はもうずーっとイリアティーヌが迷う! これでいいのかと考えて、答えを出す。それも、どうしようも流れの中で選択せざるを得ない感じで、まだ話が続くのだろうという読後感があって……。うーん、なんだか割り切れない!
実は、この本を読む前に、テレビ番組で作家の方が「小説は予言する」と話したり、漫画家の方が「週刊連載は、予言の書になった」ということをお話しされていて、ぎくっとなりながら読んでいたんです。そう、この話、宗教と信仰と、殉教と生きている者についての話なんです。結局、シリウスとイリアティーヌは国教を変えるという選択をしましたが、それでよかったのかともやもやするところもあり……。
でも、イリアティーヌが最後にエレミヤに言った言葉は、確かにそうだと思います。多分、それが全部だと思う。
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自分が我慢すればいい。戦うのは嫌だ。傷つきたくない。そういう気持ちが大きいんだね、と人様に言われたことがあって、この本を薦められたので読んでみた。
とにかく「自分を大事にしなさい」ということが書いてあります。怯えながら相手に接していると、それは相手に伝わっている。自分は悪くない、相手が悪いんだと思っているのは、向こうも同じこと。
だから、自分中心に物事を考えなければいけない。しなければならないからやるんだ、ではなく、やりたいから、やる。自己中心的とは少し違う感じで、自分が気持ちのいいやり方で自分のことを大事にする方法をとればいいのかな、と。
まあ、すべての人が同じ考え方が出来るわけではないので、最終的に「私がこんなにやってるのに!」とイライラしそうな気もするんですが、自分の人格形成は、自分が原因でないということがよくわかった。家族に「やり返せばいいのに」とか「それは無理だからやめておきなさい」というようなことを言われ続けるのはいけないらしい。

優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく——全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。解説/柴田元幸
おおおおお、面白かったー! 面白かった。面白かった……。
ネタバレになっている可能性もあるので、以下注意。
キャシーたちがいったいどういう子どもたちなのかというのは最初から大体分かるように書かれていて、その匂わせるところから、さらっと当然の事実へと移行する書き方がすごい。主人公の視点から見える、寄宿学校の生活、人間関係、子どもが大人へと抱く感情の諸々が、特殊な設定を踏まえているのにごく当然のもの、ありふれたものなのに、感傷に満ちていて、最後に「やっぱりあなたたちは特別で、普通の人間ではなかった」と否定されたときの! どうしようもない痛み!
解説にも書かれていましたが、一人称なのに感情に走るところが見られず、きっとずっと何度も、テープを繰り返すように繰り返されてきた物語なのだろう、淡々とした語りが続く。その乾いているのにもの悲しい感じが、もうすごく好き。
映画も見ようと思いました。

サンデー洋画劇場の「ドラキュラ」に脅えて、台所のニンニクをチェックしたのも、レンタルビデオ店で借りた「ドリーム・チャイルド」を編集し直すという奇行に走らせたのも、渋谷で中年の婦人にただチケットをもらわなかったら、「トレマーズ」をこんなに人に勧めなかったのも、「キングコング」を観に行く約束の途中で、凍った路面で滑らなかったら、「ラヴレター」が生まれなかったかもしれないのも、すべては、必然だったのかもしれない。映像作家・岩井俊二の原体験的カルトムービーを絵と文で綴った、初めてのエッセイ集。(裏表紙より)
おお……面白いぞ……と思いながら読む。映画に交えて自分の子どもの頃の話をしているんですが、子どもの頃見た映画の特別感がわかる人には面白いと思う。どうしてあの頃、映画ってちょっと怖くて、ワンシーンとかが刻み込まれてずっと忘れられないのかな。「トレマーズ」観てみたい。

これから君は、幸福な人生を生きなくちゃならない。どんなに不幸な時代であっても、幸福な人が不幸になることだけは決してないと、約束するよ。
『14歳からの哲学』の著者が贈る人生の教科書。(帯より)
「友愛」「個性」「性別」「意見」、「勉学」「歴史」「社会」「道徳」、「戦争」「自然」「宇宙」「宗教」、「言葉」「お金」「幸福」「人生」という16のテーマで、14歳の君へ語りかける一冊。
人が、人生が、世界が、そして自分が、こうあればいいなあ、ということが詰まっている。ブログについて書いてあるところで、誰も彼もが発信して、誰かに認められないと自分であることができないなら、いったいどこが「自分らしい」ということなのか、と書いてある最後まで読んで、真顔になりました。すみません……。

「こらえるのよ、巫女姫なんだから。私の肩には大勢の民の命がかかっている——」水派の巫女姫・玉藻は一族を守るため、敵対する豪族・若武王に嫁ぐことに。幼い頃からたった一人の支えだった兄・岬と離れる悲しみに打ちひしがれながらも、巫女姫の使命を受け入れる。だが婚礼間近の夜、反乱が起こり、玉藻を守った岬は獣と化す邪悪な呪いを受けてしまう。誰も近寄れない岬を救うため、二人きりの逃避行が始まった!(裏表紙より)
古代日本をイメージさせる世界を舞台にした、和風ファンタジーの二作目。前巻がすごくいい雰囲気で好きだと思ったので、二巻も読みました。いやー、癒された。面白かったー。
妹が実兄に思いを寄せている状況から、定番の兄妹の恋の展開を踏むかと思ったんですが、その世界観と舞台と設定がすごく生きていて、いい意味でおっと思うところがたくさんあって楽しかったです。反乱、からの、真相、からの、話が続く感じが、おっ、おっ! と思って。最後まで楽しかった。
前巻の二人も出てくるので、すごく嬉しかったー!! 彼はいい神様になったなあ! 玉藻と岬が辛い状況にあるところに、すごく優しい言葉をかけてくれて、自然と優しくしてくれるので、もうきゅんきゅんが止まりませんでした。悲しいことを知っているひとは強いなあ。その分、伊布夜の意地悪はちょっと……と苦笑いしました。
しかし、前巻最後で思ったんですが、昼女神様は、結構ラフな人ですね!? 太陽を司る神様だから、明るいのは当然だと思うんですが、いささかびっくりしました。でも、好きです、そういう神様。もうちょっとこの方のこと見てみたいなー。

失業中サラリーマンの恵太が引っ越した先は、家賃3万3千円の超お得な格安アパート。しかし一日目の夜玄関脇の押入れから「出て」きたのは、自称明治39年生れの14歳、推定身長130cm後半の、かわいらしい女の子だった(表題作「押入れのちよ」)。ままならない世の中で、必死に生きざるをえない人間(と幽霊)の可笑しみや哀しみを見事に描いた、全9夜からなる傑作短編集。(裏表紙より)
最初にくる「お母さまのロシアのスープ」がものすんごい衝撃的だったので、息を吐く。これで終わるのかと思ったら、もう一回転した。すごい。
この人の書く女の人は、ちょっと気色悪い人が多いなーというのと、男の人の悲哀を感じさせつつもちょっと滑稽な立場がうまいな、というのを感じました。
「お母さまのロシアのスープ」と「しんちゃんの自転車」が好きです。
幽霊にまつわるちょっといい話あり、妖怪じみた恐ろしい話あり、と、ぞっとしたりじわっとしたり、いい短編集でした。

いない。誰もいない。ここにはもう誰もいない。みんなどこかへ行ってしまった——。鬱蒼とした熱帯雨林、高度な技術で積み上げられた石門、張り巡らされた水路、動かない車輪。古代文明の壮大な足跡を辿り、メキシコ、グアテマラ、ペルーを訪れた物語作家は、遺跡に道にホテルに、“気配”を色濃く感じ取る。インカ、マヤ、失われた都市。そこに秘められた物語の種とは。人類のセンス・オブ・ワンダーに迫る、中南米紀行。(裏表紙より)
南米旅行記。八月後半のじわーっとした暑さの中で読むと、なんとなく、南米の街ってこんな感じなのかなあと思う。ちがうか。
ある夜突然扉を激しく叩かれて飛び起きた、という「深夜の訪問者」の回に、思い出したことがひとつ。
私は祖父と二人で沖縄旅行に行ったことがあるのですが、あるホテルで、なんとなく窓にカーテン(というか引き戸?)をしないでいたくて、開けたままにしていたら、その深夜突然、窓ガラスを「ばんばんばんばん!!!」と叩かれて飛び起きたことがあります。「えっなに!?」となって起きたものの、その部屋は地上十何階かで、とてもじゃないけれど人が叩けるものじゃない。ぞくっとしていると祖父は「あー、やっぱりなあ」と言って淡々と引き戸をしたのでやっぱりってなに!? と思いながら、聞くことができなかった思い出です。
その祖父はもう亡くなってしまったので、何を感じたのかは永遠に謎のままになってしまいましたが、沖縄だったら、幽霊も精霊もいそうですよね。