読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々
「ラベンダー 妖精の歌」
一家惨殺事件の生き残りであるジェーンは、事件から二十五年後、写真家として活動しながら夫と娘という家族を得て日々を送っていた。だがある日幻覚と思われる少女を避けようとし、運転を誤って事故に遭ってしまう。そのせいで記憶を失うが、徐々に記憶を取り戻す途中、何故か自分が家族を失った事件を調べていると知る。疑念を抱いたジェーンは家族とともに事件があった家へ向かう。果たして家族を殺したのは誰なのか?
事件の真相を忘却し、現在の記憶すら曖昧になってしまったジェーン。過去の事件に関わると思しき幻覚を見るが、果たして事件は終わっているのか。家族を殺した犯人は別にいるのか?
冒頭がだいぶギスギスしていたので家族の誰かが死んでしまうのかとだいぶハラハラしました。特に子どもが登場すると子どもがやばくなる(悪霊化する、犠牲になる)展開が多いから……。
状況はだいぶ不安感を煽るものでしたが、真相はさほど怖くなく。しかし犯人を事件の起こった家の、まだ被害者が残っているだろう場所に残していくという行動は報復としてなかなか面白いなと思いました。後ろめたいならなおさらきついだろう。
一家惨殺事件の生き残りであるジェーンは、事件から二十五年後、写真家として活動しながら夫と娘という家族を得て日々を送っていた。だがある日幻覚と思われる少女を避けようとし、運転を誤って事故に遭ってしまう。そのせいで記憶を失うが、徐々に記憶を取り戻す途中、何故か自分が家族を失った事件を調べていると知る。疑念を抱いたジェーンは家族とともに事件があった家へ向かう。果たして家族を殺したのは誰なのか?
事件の真相を忘却し、現在の記憶すら曖昧になってしまったジェーン。過去の事件に関わると思しき幻覚を見るが、果たして事件は終わっているのか。家族を殺した犯人は別にいるのか?
冒頭がだいぶギスギスしていたので家族の誰かが死んでしまうのかとだいぶハラハラしました。特に子どもが登場すると子どもがやばくなる(悪霊化する、犠牲になる)展開が多いから……。
状況はだいぶ不安感を煽るものでしたが、真相はさほど怖くなく。しかし犯人を事件の起こった家の、まだ被害者が残っているだろう場所に残していくという行動は報復としてなかなか面白いなと思いました。後ろめたいならなおさらきついだろう。
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最強のポケモンを作ろうとした人々によって伝説のポケモン・ミュウの遺伝子から作られたミュウツー。強い力を持ち、高い知能を有したミュウツーは人間への憎しみを募らせ、ついに逆襲を企てる。サトシとピカチュウ、カスミ、タケシは、ある日謎めいた招待状を受け取り、同じように指定された場所を目指すポケモントレーナーたちとそこへたどり着くが……。
映画第一作目の3Dリメイク。第一作目、どうしてだったかは忘れたんですが劇場に見に行ったんですよね。子ども心にお話のすごさにめちゃくちゃ打ちのめされたのを覚えています。私の知ってるポケモンじゃないけれど、時々不意に始まる私の好みのエピソードに似た、心にぎゅっとくる何かがある! と思ったんですよね……。
「オリジナル」と「コピー」、「生命」について考えるお話で、やっぱりオリジナルとコピーの対決シーンがすごくよくってね……。泣きながら殴り合う鏡写しのポケモンたちが悲しくて悲しくて、人間たちもそれに傷付いているのがね……。ポケモンを使うトレーナーとして考えさせられるところがいっぱいあったと思います。
確かにいまどきで見やすいリメイクではあるんですけれど、やっぱりやっぱり第一作のアニメを見てほしい! あの物悲しさや薄暗い描写はアニメ画の方が映えると思うんですよ。幼い子は、あの暗さが怖いと感じるかもしれないので、理解できる年齢になったらでいいから見てほしいな……。
神山高校一年の折木奉太郎は、姉の謎めいた手紙の指示で「古典部」なる部に入部することになる。何事にも積極的に拘ろうとしない彼の日常は、このことによって千反田えるや福部里志、伊原摩耶花たちとの関わりで騒がしくなる。そんな彼らがぶつかった大きな謎、それはえるの失踪した伯父と古典部、そして神山高校にまつわるもので……。
原作読了済みで、アニメも視聴済み。
実写版は大きな変更は特にない感じかな、という印象。原作の淡々とした雰囲気に忠実、ではあるんですけれど映像にすると小説を読むより淡々としすぎていて、読みながら気持ちを盛り上げていくように、映画を見ながら感情を昂らせていくことができなかったのが残念だったかな……。事実がわかって、こうじゃないかと考えて、こうだったのか! 自分の中での気付きが生まれにくいというか。
真相自体はやっぱりすごく面白いと思うし、やるせなさもあって好きなんですけれど、実写はあまり向いていなかったんじゃないかなあという印象が拭えず。地味なんですよね。お話はそれがいいんですが、映画作品だと映像が面白いかも大事なんじゃないかと思ってしまう。
不景気な1930年代のアメリカ、孤児のアニーは仲間たちと明日がよくなることを夢見て暮らす賢くも口達者な少女。だがある日億万長者のウォーバックスのイメージアップ戦略のため、一時的に彼のところで暮らすこととなる。愛犬のサンディとともに前向きに懸命に生きるアニーの言動は、使用人たちやウォーバックスを変えていき……。
82年の作品。最新のものは見ましたが、これが一番いまも舞台等で演じられているものに近いのかな?
こまっしゃくれたアニーが自分なりの価値観と前向きさで、たくさんの人を巻き込みながらみんなで幸せになる。王道だけれどそれがいい。親探しからの流れ、定番だけどそれがいいんだよ……。ラストシーンの花火が如何にも贅沢で、その光景の幸福さに思わず笑顔になりました。
1988年、イラン・イラク戦争中のテヘラン。シデーは医者を目指して大学で学んでいた過去があり、母親となったいまも復学を望んでいた。だが学生時代の左派の運動に参加していたせいで道を断たれ、医師である夫は前線に派遣されることとなり、疎開を勧められるも夫の実家を忌避して娘のドルサとともに残ることになる。空襲など危険な状況下、シデーとドルサの不安と恐怖を煽るような不可思議な出来事が起き始め……。
時代と戦争が絡むホラー。「抑圧」という言葉がよぎる。やはり時代が変わり、人の心が疑心暗鬼にとらわれるとよくないものが現れるということか。
宗教と迷信とジェンダーの問題が絡み、シデーは夢を絶たれ、夫と断絶し、自身も不安ながら幼い娘ドルサを必死に守ろうとする。守ると言っても、自由な状況でなければこんなにも困難なのかと思わせる息苦しさ。恐怖というより、ただただ不安で怖い。戦争という死の恐怖もすぐ近くに迫っているわけで。
結局それから逃れられなさそうだという結末は、この恐怖を生み出すジンなるものの理由が、人の心に起因するからなのかな。なるほどなあと思って見ました。
菊野市の高校生だった並木佐織は、市の夏祭りで驚異的な歌唱力を発揮し、歌手としての将来を期待されていた。だがある日行方不明となり、三年後、まったく縁もゆかりもないはずの静岡県で遺体となって発見される。その容疑者、蓮沼寛一は以前も誘拐失踪と殺人の罪に問われ、無罪となった過去があった。蓮沼は再び事件を起こしたのか? 内海薫は、帝都大学の湯川に協力を依頼する。そして菊野市の夏祭りの日、意外な人物が殺害され……。
公開中なので続きから。
公開中なので続きから。
「雨の降る日に、また戻ってくる」と言い残して亡くなった妻のスア。父子二人の生活となったウジンとジホだが、息子は母が戻ってくると信じて疑わず、ウジンは胸を痛めていた。だがある日スアの告げた雨の降る日、思い出の森を散歩していた二人はスアと思しき女性と遭遇する……。
日本の小説を原作とした、邦画も存在する「いま、会いにゆきます」をリメイクした韓国映画。
雨の季節の、神秘的ながら陰鬱で物悲しい雰囲気の邦画を大事にしながら、戻ってきた理由にちゃんと理屈をつけているのがいかにも韓国映画らしいと思いました。思わず「はー! なるほどー!」って言っちゃった。何故かわからないけれど戻ってきた、というよりはこういう方が不思議感はありつつも納得できたかも。
彼と彼女の恋の物語のようでいて、最初から最後まで家族の物語になっていたのも見ていてしんみりして、よかったなあ。スアはずっとウジンとジホに会いに行こうとしていたんだなって。
江戸時代。武家の生まれで碁を打つ安井算哲は、天文や数学の才能があり、金王八幡宮に奉納される和算の設問を解くのを楽しみにしていた。そんなある日触が起こったことで、幕府より日本各地で北極星の位置を確認する北極出地の命が下される。このことが後に日本の改暦を行う大事業へと繋がっていき……。
原作読了済み。この時代の数多くの魅力的な人物との関わりや絆や結びつきを描いた原作でしたが、映画版はより渋川春海という人にスポットが当たり、一人の人間の壮大な人生を描いたものという印象でした。
一人の人間としての小ささ、天地の大きさ、それらを「遠い」としながら手を伸ばす。個々人の人生を描く対比がすごくよかったなあ。人生って大きい。各々のドラマに満ちているという感じ。
わかりやすさをメインにしているので、原作にあるような、渋川春海を作るまでの様々な人との出会いと交流が薄れているのは残念でしたが、もう一度原作を読んで、映画を見て「こういう景色だったんだろうな」と確認したくなる作品だったと思いました。
悪事を働いて逃げる三人の若者たちは廃屋と思しき店に侵入し、しばらく身を潜めることにした。だがそこへ外からシャッターに手紙が投げ込まれる。書かれていたのはなやみそうだん。実はこの店はかつて店主が投函された手紙や悩みに返答を記す場所だったのだ。不思議な因果でその返事を記す三人だが、手紙の差出人たちはやがて一つに繋がって奇蹟となり……。
落ちぶれて、やさぐれて、どうしようもない状況にいる三人の若者が、時間を超えた手紙に返答することで閉ざされてしまうであろう自分たちの未来を救う奇跡の物語。
こういう、時を超えて運命を見たり感じたりする物語は大好きです。三人が繋がりに気付いたときの興奮、私たち視聴者の興奮にリンクしてすごくどきどきしてしまった。
こうなると原作小説はもちろん、舞台やミュージカル版もすごく気になるなあ。どういう描き方をしているんだろう。機会があれば触れてみたい。
亡くなった祖母が実は再婚していたことを知った司法浪人の健太郎。フリーライターをしている姉の手伝いで、実の祖父の過去を調べることになったが、生前の祖父を知る人々は彼を「臆病者」と謗り、別の人物は激怒するなど、まったく人となりが見えない。だが最後に尋ねた闘病中の井崎は時間をかけて二人に、当時の出来事、そして祖父のことを語り始めた。
「ヘルタースケルター」から続いて見たものなんですが、二作品の視点の違いが面白い。こちらは完全に、第二次世界大戦下における男性の世界と、人の真心や情の話ですね。
当時の価値観で異常者だったであろう宮部。この作品はフィクションですが、だからこそ当時の「これは正しいことではない」「こんなのは嫌だ」という思いを結集した人物をこうして作り上げることができたんだろうな。傑物すぎて、現代の価値観でも宮部のようなことはできないと思います。