読んだ本とか、漫画とか、映画とか、色々
父親ののび助に、スキーと海水浴が同時に楽しめるホテルに予約を取ったと言われ、喜ぶのび太。友達に自慢するもそれがパパの夢だとわかり、すっかりしょげてしまうが、次の日名前の書かれた謎めいたトランクを開けると、そこは確かにどこかの島のホテルだった。禁じられた地下室には迷宮の入り口があるとは夢にも思わず……。
幼少期に見て、怖い印象がついた作品。砂嵐のテレビ画面とパパのシーン、親が明かりを消した部屋でテレビを見ているのがなんとなく怖いと感じていた記憶と結びついて印象的だったのと、敵側のナポギストラーのデザインが怖かったのと、あといとまきのうた! 久しぶりに見ていて、何故あの歌を不思議とよく覚えているのかを思い出しました。
劇場版としては、環境問題より、便利になっていく社会に警鐘を鳴らしているような内容。頼りすぎるなよ、というメッセージを感じました。便利に慣れると難しいことではあるけれど、大人になって思うのは、自分の手でやることの面白さや喜びは忘れないでいたいなということです。
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デトロイトの貧困地域に住むジミーは、ラッパーになって身を立てることを夢見ている。母親は素行の悪い自分の先輩と恋仲で、金遣いが荒く、普通の生活もままならない。人種や経済環境を分ける「8マイルロード」をジミーは超えることができるのか?
エミネムの半生を描く自伝的作品。こういう作品だと成り上がって成功する輝かしいシーンで終わりそうですが、こちらはただ創作者、表現者として道を定めた静けさがあって、いい終わり方だなあと思いました。成功よりも歌うべきものがある、と思えているのなら、それはきっと素晴らしいことだと思うよ。
しかしこういう貧困層の生活は、当たり前にどこにでもあるということが、なんだかやるせなくなってしまった。多分そういうメンタルだったんだろうけれど、なんかもう、どうしようもないなあ世界、というか。だからこそジミーがより強く格好良く見えました。
アメストリス、イシュヴァール、そして東方のシン国。それぞれに賢者の石を求める者たちが集う「約束の日」に、ついにエドワードたちはすべてを企てたフラスコの中の小人とホムンクルスたちと対峙する。失ったものを取り戻す兄弟の旅の行方は?
ラストシーンに至る完結編の後編。
最後の最後にホーエンハイムとトリシャのシーンを保ってくるのはずるいよ!? と目を潤ませながら見終わりました。
ちょっとだけ許せなかった改変は、マスタング大佐が視力を失ったその後のこと。ドクターマルコーのエピソードが変わっていたのでマルコーが賢者の石を持ってくるシーンじゃなくなっていたのが、違う!! ホークアイ中位はマスタング大佐を支え続けるけど、それはハンディがあるからとかじゃないんだよー! とかつてこの二人にときめいていた人間としては叫んでしまうわけですよ!
やっぱり素晴らしい作品だよなあ……と思ったのでつい原作の最後の方を読み返してさらに泣いてしまった。
アメストリス国軍の闇を知ったエドワードとアルフォンス。その頃国内では国家錬金術師の連続襲撃事件が発生していた。犯人はかつて弾圧されたイシュヴァールの民の特徴を持つ傷を持つ男、通称スカー。襲撃されるエドワードたちは、やがてさらなる闇に遭遇する。
スカーの襲撃から、ざっくり終盤までを描いた完結編の前編。
リンがやたらめったら顔がよくて実写映えする役者さんだなあ? と思ったら、経歴を見てなるほどと思いました。仮面のライダーの中で結構好きだと思った役者さんでした。
その関連で言うとキンブリーがもったいなかったんじゃないかなあ。せっかくいい役者さんを使っていたのに登場が少なすぎる。あとアームストロング少佐が小柄すぎないか? と思ったんですが、確認したら役者さんが結構背の高い方でいらしたので、キャラクター描写って難しいなあと思いました。
二作目ではまり役すぎるだろ! と思ったのはホーエンハイム。飄々としながら重いものを抱えた、愛情深い人になっていて、さすがだなあと思いました。アームストロング少将も美女で大変眼福でした。
アメストリスの最年少国家錬金術師と名を馳せるエドワードと弟のアルフォンス。「賢者の石」を求める二人は、かつて死んだ母親を生き返らせようと禁じられた人体錬成を行い、失った身体を取り戻そうと旅をしていた。しかし旅の最中、国を動かす軍部の闇を知ることになり……。
実写映画一作目。印象的な第一話から、登場人物の立ち位置などもだいぶ改変されていて、原作ファンはだいぶきつかったろうなあ。上手い役者さんがキャラクターをきっちり演じてくれているから保っている感がある。
個人的にはやはりタッカーがよかったです。あの人が「勘の良いガキは~」と言ってくれるの似合いすぎて笑っちゃった。全然笑えるシーンじゃないのにぴったりなんだよなあ!
あとヒューズ中佐の人の良さが滲み出すぎていて、わかっていたのにその展開は悲しかった。
「令嬢ジョンキエール -愛と復讐の果てに-」
18世期フランス。ある未亡人は、好色な侯爵の求愛についに応じ、恋仲になるが、陥落した彼女に侯爵は早々に飽きてしまった。弄ばれたことを許せなかった彼女は、友人から聞いた、貴族の妻になりながら捨てられ娼婦に身を落とした夫人とその娘を使って復讐を企てる。
恋人にすぐに飽きられてしまった未亡人が、元恋人の好みそうな女性を使って彼を陥れ、最後に素性をバラしてやろうという復讐を企てる。貴族に捨てられて娘を産み落とした夫人は降って湧いた幸運に飛びついて娘を唆すも、娘本人は賢く物静かで、自分たちのしていることが正しいとは思っていない。そんな状況で企てられた恋愛ゲームと復讐の果ては?
みんな自業自得という印象の強い作品。たった一人、自らの心に殉じて行動したジョンキエールだけが本当の幸せを得たのかもしれない。どん底から這い上がってもたった一つ綺麗なものを持っている人間が強いのだと思いました。
18世期フランス。ある未亡人は、好色な侯爵の求愛についに応じ、恋仲になるが、陥落した彼女に侯爵は早々に飽きてしまった。弄ばれたことを許せなかった彼女は、友人から聞いた、貴族の妻になりながら捨てられ娼婦に身を落とした夫人とその娘を使って復讐を企てる。
恋人にすぐに飽きられてしまった未亡人が、元恋人の好みそうな女性を使って彼を陥れ、最後に素性をバラしてやろうという復讐を企てる。貴族に捨てられて娘を産み落とした夫人は降って湧いた幸運に飛びついて娘を唆すも、娘本人は賢く物静かで、自分たちのしていることが正しいとは思っていない。そんな状況で企てられた恋愛ゲームと復讐の果ては?
みんな自業自得という印象の強い作品。たった一人、自らの心に殉じて行動したジョンキエールだけが本当の幸せを得たのかもしれない。どん底から這い上がってもたった一つ綺麗なものを持っている人間が強いのだと思いました。
書道教室を開いている75歳の雪は、ある日訪れた書店で購入した漫画に心を奪われる。それは男性同士の恋愛を描いたBL漫画だった。その書店で働いている高校生のうららは、自身も好むBL漫画にハマっている雪と親しくなり、友人となって交流を深めていく。
原作既読。
初めての作品、初めての同人誌即売会のどきどき。誰かが手に取ってくれたときの感動など、甘酸っぱい切ない気持ちが呼び起こされる。高校生の狭い世界が、住んでいるところや年齢、立場がまったく違う、好きなものを語り合うだけの友人によって少しずつ開かれていく感覚が、ああ、いいなあと思いながら見ていました。
特にすごくリアルで、けれどこうなったら嬉しいなあというフィクションが、二人の友情のきっかけになった漫画家さんが初めての同人誌を読んで、ちょっと元気になったところ。そういう小さな奇跡の描写が嬉しくて幸せな気持ちになりました。元気が出るというのも、「好き」だけが詰まった同人誌って創作者の原点だと思うので、そうだよねえ、と。
しかしうららさん。原作だと地味で適当な感じなんだけれど、実写だと、原作に寄せていても役者さんの知性や品性を感じる佇まいで、育ちがいいってこういうこと……と思わされました。ただのセーラー服がめちゃくちゃ似合っていて賢そうなこと!
雲の上に天国があると主張してからかわれたのび太。ドラえもんの道具を使って自分たちで雲の王国を作ろうと、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんも加わって遊び始めるが、ある日謎の少年を助け、行方不明になったその子を探すうちに、天上人の住む天上世界に迷い込む。実は天上人はある目的を持っており……。
このくらいからの作品をビデオテープなどで繰り返し見ていた覚えがあります。雲を固めて国を作るところに憧れて、この辺りばっかり見ていた気がする。中盤は内容をよくわかっていなくて、裁判のシーンで、かつて助けた関係者が証言してくれるところを熱心に見ていたような。ただ、これまで劇場作品を見てきたけれど証言に立つ人たちが何者なのかはわからなかったので、本編を見なくちゃいけないやつかな?
ここでもかなり露骨に環境問題について話している部分があり、時代が反映されていることを強く感じます。酸性雨が、とか、オゾン層が、みたいな話をしていた頃だったかなあ。
ある日学校中の生徒がゾンビと化し、学校に閉じ込められてしまった女子高生のくるみ、ゆき、りーさん。絶望する彼女らを励ました保健室のめぐねえの発案で、学園生活部を立ち上げ、生き抜くことを決意する。隠れていたみーくんを保護し、意見の相違を乗り越えながら、生き抜くと決めた五人。だがついに彼女たちが「卒業」する日がきてしまう。
ゾンビが溢れる世界で、学校で生き残る女子高生たち。それだけでもキャッチーですが、最後の最後にマジかよと思われる意外な展開と、走り出す彼女たちという、青春×ゾンビの掛け合わせが面白い作品でした。アニメも見たくなったぞ。
普通の学校の風景が、まるで夢から覚めるみたいに現実の世界に戻っていく冒頭の描写があるんですが、これが後々大事なオチにつながるものだったことにびっくりした。現実から目を背けたいし、心の中にある大事なものに縋っていたい、彼女たちの気持ちを思うと……。
たった五人で生き延びるにもなかなか上手くいかないんだから、それ以上の数だともっと大変だよなあ、そりゃ内部崩壊もするわ、と他のゾンビ作品に思いを馳せたりもしました。
漫画家の岸辺露伴はオークション会場でモリス・ルブランの『黒い絵』を競り落とす。だがその絵を競り合った男たちに襲われ、危うく絵を盗まれてしまいそうになる。その絵には秘密があり、ルーブル美術館に手がかりがあると知った露伴は、担当編集者の泉とフランスへ飛ぶ。
ルーブル美術館と、岸辺露伴、罪と罰と、黒。美しいものの影と歴史の重みめいたものに、人間の逃れ得ない罪がある。
作品の雰囲気を象徴するものがぎゅぎゅっと詰め込まれている。それができるセンスがすごい。フランスの風景がまた雰囲気があっていいんだよなあ。
「黒い絵」の力が、個人の罪だけでなく祖先の罪を突きつけてくるところが面白い。ジョジョシリーズはあまり触れていないんですが、そういえばあれは血脈の話だったなあ、なんてことを思いました。
絵にまつわる話というと奈々瀬という芸術家にとってのミューズ、運命の女的な登場人物がいるのがロマンだよなあ。岸辺露伴にとってもそうだし、仁左右衛門にとってもそうだったのかもしれない。
ルーブル美術館と、岸辺露伴、罪と罰と、黒。美しいものの影と歴史の重みめいたものに、人間の逃れ得ない罪がある。
作品の雰囲気を象徴するものがぎゅぎゅっと詰め込まれている。それができるセンスがすごい。フランスの風景がまた雰囲気があっていいんだよなあ。
「黒い絵」の力が、個人の罪だけでなく祖先の罪を突きつけてくるところが面白い。ジョジョシリーズはあまり触れていないんですが、そういえばあれは血脈の話だったなあ、なんてことを思いました。
絵にまつわる話というと奈々瀬という芸術家にとってのミューズ、運命の女的な登場人物がいるのがロマンだよなあ。岸辺露伴にとってもそうだし、仁左右衛門にとってもそうだったのかもしれない。